春は別れの季節。
お父さんの同僚だった竹本家が帰国した。
二人のお子さんを持つ竹本家には沢山のおもちゃや衣服を頂いた。
最後に家まで伺って頂いたのが家庭内滑り台である。
女の子の茉莉ちゃんに、斯様な遊び道具が果たして適当なのか、頭をひねるが
今や香港は抗生物質も効かない新種の肺炎(SARS)が蔓延しており
人ごみの場所や、バスに乗っておお出かけも控えている昨今、滑り台を
頂いて本当に良かったと喜んでいる所である。
その内この上から転がり落ちて汚している光景がどうしても頭に浮かんでしまうのだが・・・。
SARSと言えば、2週間後には2歳になる茉莉の航空チケット代が上がってしまうので
(Fullfareの40%というから、大人のDiscount
ticket代と大して変わらない。)
4月5日に予定されていたバスケット・チームJ'sの台湾遠征に家族4人で参加しようと
思っていた所、出来れば飛行機は使わない方が良い、空港にも近づかないほうが良い、
中国にも当分出張は控えたほうが良い、という会社の通達が出ているような現況下、
敢え無く中止延期となっちゃった。
はてさて、この肺炎騒ぎ、一体何時頃まで続くのやら?早いこと、ワクチンが開発されます様に・・。
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父に似て汗っかきの茉莉は小脇に抱える熊さん水筒が欠かせない。
中味が無くなると「お茶、お茶。」と言えるだけの知恵が付いてきた。
最近、言葉を覚える力が日増しに付いて来ている様な気がする。
これも晴子が通わせている子供の英才教育塾「七田」の成果か?
因みに父の生家は四国川之江の七田という集落にある。何も関係は無い。
仲良き事は美しき哉
父は5男坊であった。つまり4人の兄を持つという事を意味する。因みに姉は居ない。
子沢山の家族、それも男ばかり、読者は如何なる家庭を想像するだろうか?
一昔前の漫画で言えば、川崎のぼるの「てんとう虫の唄」。
都市部に比べその生活が10年程遅れているかのような田舎のそれは
正に一昔の漫画、てんとう虫の唄の生活に似たものだったであろう。
現代日本が抱える問題である核家族化、壷型人口ピラミッドなぞどこ吹く風。
どっこい近所も皆、大家族だ!質素な食事しているから爺ちゃん、婆ちゃん達も長生き。
家は狭いぞ、ウサギ小屋!
両親は大変である。子沢山で家系が苦しいと言えど、昔みたいに口減らしの間引きも出来ぬ。
共働きは当然だ。と、すれば子供たちは家事を分担せねばならない。
お前は風呂焚き係。(薪で沸かすんですな。)お前は洗濯物畳み係。お前は料理番、と。
嗚呼、これぞ集団生活。こうして子供達は協業の意味を覚えるのですね。
遊びもチープ&シンプル。缶けり、野球、凧揚げ。道具は皆、手作りだ。
幸い、我が家の長男は大工だ。木工道具はごまんと有る。
ゴルフのパターも、ホッケーのスティックもお茶の子さいさいだ。
が、夜になると、辛い時間が始まるのであった・・・。
当時世の中にはプロレスが流行っていて、ジャイアント馬場やジャンボ鶴田が
活躍していた。兄貴はか弱い筆者を足四の字固めや、スプリングトーホールドといった
技の練習台に使うのだ。8畳間の座敷にはそんな筆者の涙が染み込んでいる。
加えて、中学・高校では柔道の授業が有った。読者も用意に想像出来る様に
その日は大外刈、横四方固めの練習台となるのである。
ああ、今明かされる父さんの暗い過去。
中学校に進むと同時に寄宿舎に入った筆者は、ジュースの無い生活の中で
昼ご飯時に配給される牛乳の残りを寮に持ち寄り、喉が渇くとその牛乳を水代わりに
飲んでいた。その量は1日平均2−3リットル、大漁の時は(牛乳の残りが多い日)
4リットル飲む事もあった。
その為か、中学入学時に153センチ程度だった身長は卒業時には184センチ。
30センチも伸びていたのである。(それが退寮して、牛乳飲まなくなった途端、背も
伸びず、今は186.5センチ。たったの2.5センチしか伸びなかった。)
話が反れた。要は、今や家族の中で一番大男になったお父さんに過去の暗い記憶は
無い。もはや兄達にプロレスや柔道の相手をさせられる事も無い。
で、何でそんな事思い出したかというと、茉莉と嶺の仲良さそうな写真が有ったからだ。
おいらにも姉ちゃんが居たら、人格を形成する少年時代にもっと別の影響が与えられ、
又違った人生を歩んでいただろうか?
ともあれ、面倒見よい姉からも愛情を受け、嶺は心優しい人格が形成されるに違いない。
腹文字では無い。花文字である。
Stnley名物らしい花とか鳥等、中華思想で言う縁起の良い物を
あしらい家族の名前を描いて貰う。
字数の都合上、二文字の晴子と茉莉は両端に一文字の父と嶺は
内側に。案の定、一番左端に位置する晴子には富の象徴とか
長寿とか、力を表す竜とか、6つ位縁起の良い絵が模されているのだが
家族の中でも下っ端に位置すると思われた父の名前には美しさを表す
者とか、長寿とか、3つしか描いてくれていない。(そりゃ一文字の中には
色々描くの、難しいですよ、でもこれは絶対花文字描いた親爺、晴子が
お父ちゃんだと勘違いしていると思う。)
大枚480ドルを掛けて購入した(一週間時間掛かった)花文字の名前を
見ながら、Stanleyのタイ料理屋で微笑む母と子。
今後弟や妹は産まれた場合、この花文字を飾るところは無くなるかも
しれない事を晴子は考えていない。
Candy と Nelvin
CandyとNelvinはお父さんの元スタッフだった香港人である。
2000年の4月と5月にそれぞれ申し合わせたかの様に退社して
別々の会社に勤めている。
二人ともお父さんが面接して採用した。
1998年、CandyをShiiping Clerkとして採用する時、20人位の候補者の中から
最終的に3人位まで絞った。その3人の中に飛びぬけて美人が一人居た。
色々迷ったが、こんな美人雇ったら古参のおばちゃん達と諍いが起こって、
sales manも浮かれちゃってしまうんじゃないか?と思い、当時仕事が大変な状況だった為、
そんな事に時間とman powerを裂いている暇は無い、とCandyを採用した経緯がある。
因みに最終面接に参考意見を聞く意図で古参の現地社員おばちゃんも参加させていたのだが、
このWendyおばちゃんはお父さんの選択結果が相当意外だった様である。
後にCandy本人からも「最終選考で凄い美人が居たらしいけど、何で私を採用したんですか?」と
ずばり聞かれた事が有ったが。「そりゃ、お前さんをinterviewして俺が優秀だと思ったからだ。
Shipping clerkに外見は必要無い。」と格好良い事言った覚えがある。
今だったら、あの美人雇うだろうな・・・・。
さて、入社して2年が経ち彼女は24歳になった。、もっと高い給料が欲しくなった。
しかしShipping Clerkでは大した給料も貰えない。我が社は日系と言えども香港に税金を
納めている香港法人。年功序列制度は無い。職責が変わらない限り給料は上がらない。
彼女は2000年、台湾系の電子部品商社に営業として就職した。
今は、中国シンセンに住み、レーザーピックアップ・レンズを売り歩く毎日。
退社してからも、時折電話が掛かって来て、(晴子の許可を取って)一緒にビールを飲みに
行く関係が続いている。今の直属のスタッフより親しく付き合っている位だ。
職場の上下関係が無い方が人付き合いとしては良いのだろうか?
或いは、ひょっとして俺の美貌に気が有るのか?と、晴子に聞いた所、一笑に付された。ふん。
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でも、6年来付き合っているBFは何とお父さんと同じ申年生まれ。
しょっちゅう別れてる癖に(2ヶ月前も別れたとか言ってた。)又ひっついてた。
Nelvinもお父さんが1998年に採用したスタッフである。
因みに香港大学出身。
香港大学と言えば、アジアで5本指に入る大学らしく、そのランキングでは
東大よりも上に位置するとか。(凄い競争率であるのは確からしい。)
余談であるが、我社には100人超の香港人が働いており、香港U出身の
スタッフが4−5人しか居ないのだが、お父さんの直属のsales
staff3人中
2人が香港U出身だった、当時。
採用時に履歴書を見るから、学歴で振るう考えの人はそういう選考基準で
選べるんですが、お父さんのやっている仕事でsales
staffに求めるのは、
1日に何十件も電話掛けてお客さん探すという泥臭い事でも真面目にやる、
という所が大きいので、はっきり言って高学歴要らないんですね。彼等給料も高く
求めてくるし。だから、決してそういう高学歴の人間を求めていた訳では無い
のに、結果的にそうなってたんです。
でも、面接重ねている内に結局最終的に残ったのはNelvinであった。愛想良かったし。
さて2年の月日が経ち、漸く賞品知識等も付き、そろそろ一人で新規開拓も
出来る様になったな、と思ったら辞表持ってきた。
「昔の上司が、今度移るIT企業に来ないか、と誘ってくれたんで。色々仕事教えて
くれて有難う御座いました。非常に勉強になりました。」
「何言ってんだ、これから漸くお前に稼いでもらえる、と思ってんのに。Thank
you より
利益を俺のチームに還元してくれ。給料改定も考えるぞ。どれ位くれるって言ってんだ、
その会社は?」
「今の倍です。」
「・・・・・・・・そうか・・・・・・。」
2000年、当時香港はITブーム。法外な報酬を提示して、人員獲得競争を繰り広げて
居た頃だった。何と、香港Uの新卒にHK$2万/月以上提示が当たり前の頃。
HK$13,000/月で働いていた彼にHK$26,000.-提示する会社が有っても不思議は無い
頃であった。因みに彼が転職したのはSingapore
Telecom。(Sing-tel)
必死の引止め工作もむなしく退社した彼は(当たり前か)、退社して2週間後には
Sing-tel持ちで3ヶ月間Singaporeに於いて研修。Networkについて勉強をした。
4ヵ月後そろそろ帰国しているか、と思い連絡、一緒に晩飯を食った。
ふざけた事に彼は又、別の通信会社New World
Telecomに移っていた。
「え?お前、Singaporeで3ヶ月間会社負担の研修受けたばっかりじゃないの?
そんなん許されるの?」
「僕をSingtelに誘ってくれた上司が、New Worldに移る事になって付いていく事に
なったんです。Singtelとは上司が話を付けてくれました。」
「へぇ、で、給料は同じくらい貰えんのか?」
「上がりました。」
「・・・・・・。」
お父さん、このままプラスチック売ってんのが本当にええんかいな?一寸考えましたよ。
さて、その後もCandyと3人で時たま会って食事をしてたんだが、New
World Groupの
経営不振、同Groupの大量人員解雇が昨年半ばから行われだして程なく、携帯電話も
電子mailも届かなくなった。(両方とも会社のだったし。)
Candyと、Nelvin何処行っちゃったんだろうね、等とBeerを飲んでいるうちに半年が過ぎ、
先月突然携帯電話に電話が掛かってきた。「イシムラサン、Are
you still in Hong Kong?」
「それは俺の台詞じゃ!」
Nelvin、今はユニ・リーバで化粧水等を販売、4月からはリプトン紅茶を販売する部署に
行くんだとか。今の給料を聞くのは敢えて止めといた・・・。
2月28日久し振りに2人と揃って食事をした、と言うか我が家に招待した。
二人は27歳と28歳、未だ未だ若い。未来が有る。(未だ34歳のお父さんが
言う台詞としては早いか。お父さんにだって未来は有るぞ!多分。)
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Nelvin, お前のその能天気そうな所を買って俺は君の採用を決めたのだよ。
旧正月は日本で(3)
岡山の美術館に芸術鑑賞に行った折に、親類のおばちゃんの所にも
寄って来ました。90歳を越えているとは到底思えないお達者ぶり。
晴子の家系は長生きの様である。

松井さんご夫婦と。夫人が着られているワンピースは、お若い頃着られていた
着物を仕立て直したものとか。中々格好良いのである。そういえばお父さんも
大阪で二人分の生地を使って仕立てた浴衣が有り、香港駐在に際し、わざわざ
下駄&帯と一緒に持参したが、過去5年一度も使ったことが無い。
更に言えば、かみさんが結婚して初めて香港に来た際、佐敦の華潤百貨で
旗包(チーパオ:China Dress)を仕立てて差し上げたのに、確か未だ2回しか
着ていない。あれも同じ様な運命を辿るのだろうか?
(今はあの3年前に仕立てた服に身体が入るか甚だ疑問也。)

日本では子供を車に乗せる時、チャイルドシートなるものを設置せねばならんのだそうな。
今回の帰国に当たって、藤田家ではわざわざこのチャイルドシートを購入して
準備してくださいました。結構高いらしいです。
下の嶺専用かの様な立派なソファーがそうである。
構造材はガラス繊維で強化したプラスチック。プラスチックの売買を主業務と
するお父さんは製品目方(多分5キロ位)とそのコストを算段しちゃったりするところが悲しい性なのですが、
チャイルドシート設置義務の規制が出てから、その製造メーカーってかなり
儲かってるんでしょうね。
嶺が着ている毛糸のベストは手編み製で藤田家ご親族からの贈り物。
暖かい香港では購入する事は無かっただろうから寒い日本での滞在には有り難い。
願わくば来年の冬にも着れると良いのだけれど・・。(サイズ的には未だ余裕有るし。)

旧正月は日本で(2)
神戸の神仙閣、にて、茉莉は豪華な中華料理に舌を巻く。
4つのスライドで顔の変化をご覧頂き度い。
(これら4つの顔をスクリーン・セーバーの様に、順々に変わるように
したらかみさんには好評ったのだが、実際のスクリーンセーバーとして
使う方法、勉強不足で判らない。どなたかご存知の方教えて下さい。)
場面1.豪華オードブルを目にして興奮の茉莉。
香港ではろくなもの食べさせてないみたいぢゃないか。

場面2。そのちゃん曰く、下三角形の目。ぱぱ曰く人を小馬鹿にした目。
この表情が最近見られるようになったのは、誰の影響だ?
実際は、アルミ製殻入れに自分の顔に興味を示している所。

場面3.好奇心旺盛なことは良い事。そう、(器に映る)近づけば顔の形が
変わるのです。なんじゃ、こりゃ〜?と考える人

場面4.シーハー、シーハー。余は満腹ぢゃ。漫画に出てくる様な一コマ。
まるで親爺ですな、頼むから止めてくれ。お前は女の子だ。

所は打って変わってパパの実家、川之江(愛媛県)
たわわに実がなる柿の木の前で、写真撮影をせがむ晴子。
そんなに珍しいのか?
確か中華思想では柿の実は子宝を意味していたような気がするが
不確かなので明言を避ける。茉莉ちゃん、もう2〜3人、弟が欲しいかい?

旧正月は日本で(1)
深夜便での帰国はきつい。夜中の3時から7時までのフライト。
夜泣きしないように両親はビクビクものなのだが、強烈な眠気も襲う。
関西空港でかみさんがたのご両親が出迎えに来てくれていたのを見て
嬉しかったっす。良かった、この寒空の下、30分もバスを待ってたら、と考えると・・・。
有り難いこってす。

↑
庭の大きな壷に茉莉が乗っても割れない程の氷が・・・。
折りしも帰国中は大寒波がやって来たんだそうな。

↑
梅干酸っぱ〜い!という顔では有りません。
大好物のイチゴが出て来て「うっひゃ〜!」と叫んでいる所です。
香港で売られているイチゴに比べて日本のは格段に美味しいのは事実ですが、
此れ程(目をひんむく程)喜ばれるとお持て成し甲斐がありますな。
1月19日 嶺、洗礼を受ける。
彼の名はFrancis. 名前の由来は知らないが、これでEnglish
nameはRaymondではなく
フランシス。(どうしても鉄砲伝えてきた河童の様な頭の人が頭に浮かんでしまう。)
同じ会社にお勤めの鶴岡氏に、God fatherになって頂き、1時間半余りの儀式を
終えました。その日は日曜日で有った事もあり、ミサに参加される方も多く、
沢山の方に見守られながらの洗礼。それこそ多くの人が自分のおでこに十字架を
指で描くもんだから、嶺君泣いちゃったづら。
そう云えば、茉莉ぽんは・・・・・後ろの席のおばちゃんに意味不明の言葉で何やら
必死で話掛けてました。おばちゃん、困った顔で「はいはい、茉莉ちゃん、静かにね。」
おばちゃん、面倒見てくれて有難う。
ゴッド・ファーザー鶴岡氏と夫人。
鶴岡夫人には晴子も色々お世話になっているのだ。
因みにお父さんは無宗教。一家4人中、晴子、茉莉、嶺がBorn
Christianとやらで
Minorityに位置する。因みに中国語ではお父さんの様な人は「あんたの宗教何?」と
聞かれると(でも、こういう質問って本当はタブーなんだけど)大抵「睡覚(スイジャオ)」って
答えます。これは宗教の「教」が中国語で「ジャオ」という事に引っ掛けたもの。
(キリスト教は天主教で「テンジュージャオ」って言います。)
お父さんが外人にこう答えているのを聞いて「そうそう、貴方は何時もごろごろ寝てるものね。」って
勘違いしていた晴子。今まで何度も口頭で説明したのに正確に理解していない様だから、ここに書く。
判ったか?
斯く言うお父さんも実はゴッド・ファーザーの正確な意味、初めて知りました。
否、別にヤクザの大親分の事と勘違いしてた訳じゃないけど。
おばちゃん、茉莉の気を引いてくれて有難う。頭に蚊帳みたいなものを被っている訳は
知りません。尋ねるのを忘れてた。
↓
信者でないお父さんに与えられた試練、それは賛美歌。
目の前に有る本、一体何ページのどこを歌っているのか判らない。いわんやメロディーをや。
これは年に一度クリスマスだけの試練と思っていたのに・・・。
しかも今日は嶺が主役と言う事で、でかい図体したお父さん達が最前列、
ミサ参加者の視線が背中に痛い。
洗礼の受け答えも有ったりして、〈予め晴子は貴方はぼ〜〜っと立ってるだけで良いのよ、って
言ってた癖に。)お父さんが返事せねばならない訳です。簡単な返事なんですが、何も
言われてなかった為に、一瞬考えました。その時、浮かんだのは映画「ゴッドファーザー3」の
一場面。あそこでアル・パチーノはひたすら「Yes,
I do.」って答えてたなぁ。
何のこたぁ無い、「はい。」だけで良かったのね・・・。(しかし神父様はセリフのアンチョコ有るのに
非信者のこっちには無いっていうのも、釈然としないなぁ。)
何にせよ、黙ったまま返事出来ずに恥をかく失態を免れたのは、「ゴッド・ファーザー3」のお陰だ。
有難う、コッポラ監督。
しかぁし!洗礼が終った後にも出番は続く。この日のミサでは、愛の何とか・・・というテーマで、
夫婦で参加している人は皆、前に出ておいで、と整列させられる。
ここで又もや一通り説教が続き、ここで結婚式等で行う愛の宣誓みたいなのを一人づつ行うわけです。
一体何で?
「私は妻、晴子を健やかなる時も・・・・・・」こんな宣誓、六甲アイランドでした本番でもしませんでしたぜ。
〈確か牧師さんの言う事に一々「はい、誓います。」を繰り返していただけだった筈。)
これを皆さんの方向いてやって来ました。あぁ、恥ずかし。
やっぱり父さんはスイジャオ(睡覚)のままで良いや。
X'mas partyはJ'sの友達と。
12月25、香港は祝日です。因みに翌26日もBoxing
dayで連休だったりします。
日本からは「香港は休んでばっかりだ」、と嫌味を言われますが、
「日本が休んでた23日は、我々は働いてましたよ」と言わなくても良い事を
言うのがお父さんの悪いところの様です。
で、25日はご存知クリスマス。お父さんも独身の頃にはクリスチャンでも無いのに
近づくとそわそわしたものですが、香港に来てからは購買・消費意欲を悪戯に
高めるだけの世間の乗せられる様な年齢でもなかんべ、就中結婚してからは・・・・
そういやミサには付き合わされてるな。(信者ではないお父さんは賛美歌の一つも
知らないし、皆の真似して立ったり、膝まづいたり、口パクで歌ったりするのは結構
居心地悪いんだが。年に一回という事でにわか信者に混じって教会に行ってます。)
今年は、主将の依頼も有りバスケットチーム(J's)のクリスマス・パーティーを
日本人倶楽部でやりました。
と、言ってもお父さんは途中、風邪でダウンしたのでお母さんと母さんの好朋友ナナさんが
殆ど手配してくれたんですが、(つまりお父さんはアドバルーンをぶち上げただけですな。)
お子ちゃまお楽しみプレゼントも有り、で茉莉ぽんもおおはしゃぎ。
因みに嶺は大画面テレビの後ろに乳母車ごと放り出されてました。
嶺、お父さんも昔はクワガタ同様の扱いで放っぽりだされてたんだ、男はそうやって
育てられるんだ、いじけるな。(嘘)
↑
この日、ジャンケン大会で大金をせしめた丹羽家兄弟と。
ちょっと恥ずかしそうな茉莉。
↑
2ヶ月検診を80日後〈殆ど3ヶ月検診)に終えた嶺。
お父さんの洗い方がまずかったのか、中耳炎になっちゃった。
現在、むりやり注射型容器で薬を飲まされてます。辛そう、申し訳ない。
母の母乳を毎日腹一杯飲んで体重はぐんぐん増えている。顔はふっくら、二重顎に。
しかしお父さんに似てくるとすれば、今後(15年後?)頬の肉は痩せ落ち、狭苦しい顎の中に
入りきらない歯が八重歯となる。父若かりし頃は石野真子が人気のあった時代で、それも
チャーミング・ポイントと市民権を得ていたが、今は単なる虫歯の原因、歯抜けオヤジ予備軍で
しかない。さて、どうすんべ?と心配するのは10年以上早いな。良いね、君は未来が有って。
年末は先客万来2
晴子が関西支社で働いていた時の同期女性(つまり30+α歳)2人が
やって来た。つまりお父さんの後輩にも当たる。
忘れもしない5年半前、お父さんが香港に転勤になるという事で
彼女達はお世話になった先輩の為に、と送別会を開いてくれ、その時
「石村さん、私達必ず香港に遊びに行きますから案内してくださいよ!」と
送り出してくれたが、唯の一人も来やしません。
思い起こせば3年前、晴子と結婚する迄に香港に遊びに来たのは
父さんの同期で、未だ独身の浜尾と、誕生日が父さんと全く同じの藤野だけで
あった。
それが晴子が結婚して(特に子どもが生まれる迄は)来客ラッシュ!
晴子が香港に着任した1週間後に審査部の女性が年越しに旦那と来たのを
皮切りに、毎月延べ日数2週間来客をこなす日日が続き、2000年3月には
我が家に2週間以上他人が滞在していたという有様。ホテルに泊まった来客を
含めれば毎日外食外食。エンゲル係数は50%を超えましたとさ。
2001年4月茉莉が産まれ、来客の数は目に見えて減った。
今年に至っては延べ日数で30日も行ってないであろう。(お義母さんが1月
居たのを計算してないけど。)
さて12月19日にやってきた田尻と矢野は、お父さんが香港A型インフルエンザで
珍しく寝込んだ日にやって来た。
翌20日は香港の友人岡村氏にも参加頂いて広東料理の「東湖」で会食したが、全然変わってない。
懐かしい大阪時代の話に花が咲いたとさ。
21日土曜日は晴子のご学友、ミーちゃんとモッチ(猿みたいな名前だなぁ。)が到着。
午前中は田尻と矢野をスタンレーに案内して、ここでお土産の中華風ティッシュカバーを
纏め買い。値切れて良かったね。と隣りのお店で小物を見てたら、田尻が
「石村さん、さっき買ったケースよりこっちの方がHK$10.-安いですよ。」
お父さん5年も香港に住んでて、スタンレーにも何十っっ回も来て買い物しているのに
未だぼったくられている。意気消沈している所を後輩達に「まぁまぁ。」と慰められながら
帰って来たのであった。
さて晩御飯は上海料理の「シ邑江(ウーコン)大飯店)でこれ又香港の友人西條氏を
交えて頂く。中華は兎に角人数が多い程良いのだ。(呼ばれる方は迷惑かも知れないが
嫌だったら来ないだろう、と勝手に考えてどんどん誘っちゃう。否、お父さんも独身の時、
こういう風に誘われるは嬉しかったから、多分嬉しい筈・・・・と思う。)
画面後列右端のミーちゃんは晴子の小さい頃からの親友だったそうだが、結婚式には
都合悪く参加出来なかった為、これがこれが初対面。香港も初めてとの事。
感想は「綺麗な街」という事だから余程汚い街を想像していたのだろう。
豹柄みたいなストールを羽織ったもっち(お猿みたいな名前)は前回我が家に宿泊して
おり、香港には何度も来ているそうな。香港に来る旅行客は、結構Repeaterになる人が
多いらしく、彼女もその内の一人か?色々買い漁って帰ったらしい。メインの目的は
買い物か。
翌22日(日)
お父さん、風邪がぶり返し又もやダウン。茉莉ぽんと嶺とでお留守番だ。
晴子と二人のご学友は、香港島反対側のアプレイチャウという所にある
アウト・レット・ショップ・ビルにお出かけ。
何ともっち(お猿みたいな名前)はチェストとかいう高そうな家具を購入して
日本までHand carryで持ち帰ったそうな。
夜は同じ聖心のご学友、ゆりちゃんを呼び出し夕食。
12月22日は、中国の風習では家族揃ってお食事をする日らしく、どのレストランも一杯。
何軒も電話して結局予約出来たのは、海鮮を主とした広東料理の煌庭閣海鮮酒家(2890-4928)。
鱶鰭(ふかひれ)や魚を頂いて満足である。
年末は千客万来
もしも〜し!パンツが見えてますよ!
年末はお母さんの友達が入れ替わり立ち代わり。毎晩外食です。
嶺も生後2ヶ月、そろそろ周りにお披露目だ。
でも、お父さんは珍しく風邪でダウン。今年の香港A型インフルエンザは
強力だぞ。上にも下にも来る。この5年間病気欠勤した事の無いお父さんが
休んだ程だ。(蜂巣炎で入院を除く)
外出を楽しみにしているこのこの顔を見てくれ。
何時もの茉莉ちゃんの顔付きとは別人だ。
それもその筈、上はお母さんの30年くらい昔の姿。
果たして茉莉ちゃんに似ているか?
読者の反応を見たい。
(もし似ていないという書き込みが掲示板に多数出てきた場合、もう一人の遺伝子を
与えた人物の30数年前位の姿が・・・・・・出て来はしないでしょう。)
大阪の小坂さんより頂いた蜂のぬいぐるみがお気に入りでガッツポーズも
出て来ます。上の写真と見比べるほどに違いは・・・。
↑
困ったズら。そんな表情の晴子。丸々太った嶺に似ていると言えば、そんな気も・・・。
ん?お呼びでごんすか?嶺でごわす。
母親似と言われる昨今でごわす。
でも体型は父ちゃん似と言われるんでごわす。