8月8日 夏休みバリ旅行5日目 ビーチに行く。

ホテルにはビートが付いていた。プールが二つ有るのと、子供連れという事もあり今迄
行ってなかったが、旅行も終わり近くなると、どんな所か覗いとかなくては、と貧乏性なのか
朝食を頂くと早々に出掛ける事とした。
Private beachとは言えど、ちょいと離れているそこへはホテルの送迎バスで向かう。
歩いてい行けば20分位掛かる距離だろうか、どれだけ広いんだろう、このホテル。
日本には台風が直撃していたらしいこの頃、ここはひたすら天気が良い。
嗚呼、これぞリゾート。



崖の上から下に広がる小さな砂浜がある。そこへ降りて行くのだ。
香港で11月に行われる100キロ・トレールに向けて行っている練習を
思い出す。ここを10キロ超の茉莉と荷物を担いで、降りるのは良いんだけど
上がってくるのは大変だなぁ・・・・。
しかし、ひっそりとたたずむ秘密のprivate beachといった風情。
しかもそこにはちゃんとクラブハウスが設営されてあり、トイレとバーが。
お金掛けてますな。


Beachに居るのはたった10人位か。それに対してサービスしてくれる従業員は3人程。
何と贅沢なことか。(人件費安いんだろうけど。)
しかしちゃんとミネラルウォーター持参で来たので、彼らにお金を落とすことも無く
つつましやかに過ごす日本人家族であった。
屋根付きの席に陣取り、波打ち際に白砂を歩く。
ヤドカリ等が穴掘って時々顔を出しているのが茉莉には面白いらしい。
海に来るのはこれが初めてではないものの、茉莉は波が怖いらしい。
ザバーンと押し寄せるたびに泣きながら父にしがみつくのである。


午後は昨日お世話になった運転手さんに頼んでいたコース。
お土産買う為のMarket -----> 水田(棚田)が見える風景 -----> Tanah lot ----> Bali dance
を遂行する。
先ず向かったのは町のShopping centre. 色々な土産物やSuperMarket等が隣接している。
彫刻物等眺めて見るが、結構高い。手持ちのルピアでは二つ三つしか買えそうに無い。
今回の旅行に来るのに際してお世話になった人たちや、日頃お世話になっている人たち用の
見栄えのする土産物は既に昨日購入しているので、今日は義理土産や職場の同僚・スタッフ向けに
安くても兎に角、数を揃えなければならぬ物を入手する事が目的。
結局Supermaketの中に、ちょいと洒落た容器に入ったバリ名物のバリ・コピやスパイス等を
まとめて買い込んだのである。(因みに30円の安っぽい奴ではありませんぜ。でも日本円三桁位の値段。)

インドネシア産のコーヒー豆は缶コーヒー用とかで、ブラジル産等とはちょいと違うんだそうな。
成分抽出するのに時間が掛かるという事で、ぐつぐつ煮つめたりするそうだが、だからバリ・コピの
飲み方も一寸違うんだろう。我が家でも飲んでみたが、中々濃厚な味で悪く無い。
スパイスは香辛料を幾つかの小袋に入れてセットにしているもの。バスケットのチームにカレー好きな
島川さんという人が居て、彼に上げたら喜ぶね、と100円くらいのものを購入した。
何故、そういう事をわざわざ書くかというと、バリ・コピの事を書いていてそれを買ったことを思い出したからだ。
しょっちゅう顔を合わしているのに未だ渡していない。実は今日の昼も西貢という所で一緒にLunchしたのに・・・。
今更、「これ、バリ島のお土産。」といか言って渡したりすると(バリから帰ってきて1月半以上経ってるのに)
「何か下心、魂胆があるんじゃ?」と疑われて、変に人間関係気まづくなりかねいので我が家で使うことにしよう。
果たして、晴子に使いこなせることが出来るだろうか?

Super Marketで小物のお土産を購入した後は、昨晩鑑賞して興味を得たケチャック・ダンスの音楽CDを探す。
同じくShopping Centerの中にCD record shop有り。中に入ると宇多田ヒカルの唄が流れていた。
こんなインドネシアの田舎で流れているとは、彼女も大したもんだ。
さて、CDは一枚600円位の値段だったので、適当にバリ音楽のベスト盤の様なものを2枚購入。
早速香港に戻ってきて聞いて見たが、バリ旅行の雰囲気が思い出され良い土産を買った、と思う。
しかし1日中これをパソコンルームで掛けていたら、2日目に晴子より
「御免、毎日この音楽聴かされて頭がおかしくなりそうだから、お願い他の音楽に変えて。」と懇願された。
幼少の頃にはインドネシアに住んでいた筈の晴子。
毎週土曜日、お手伝いに来てくれているインドネシア人のTsui姉さんに
「私、インドネシアの唄、歌えるよ。」と唄い、Tsuiさんに郷愁の涙を流させた晴子。
お前の口からそういう言葉を聞くとは、お父さんは悲しいぞ。

2時間の買い物の後、Tanah lotに向かう。筆者は知らなかったが、バリ島No.1の定番観光名所、夕日のスポットらしい。
夕日の沈む頃18時過ぎを目指して、沢山の観光客が集まっている。こういう所を見ると、結構バリ島には
観光客集まっているんだと実感でき、石村家一寸胸を撫でおろす。

確かに夕日が沈むところは見たが、正直、2時間掛けて駆けつける程のもんかいな、と内心思ったりして。
まぁ、折角来たんだから記念撮影しておこう。





8月7日 夏休みバリ旅行4日目 お寺に行く。その2

前回、調子に乗ってぺらぺら書いているうちに夜遅くなってしまい、中途半端な所で終わってしまった
4日目の事、晴子に急かされて書き始める。
「お化けにゃ学校も、試験も何にも無い」という鬼太郎の唄に、今のお父さんには試験は無いなぁ、と
喜んでいたら、こんな所で〆切のプレッシャーが掛かるとは・・・・。

ウブドを出て、次の大きな目的はカチャ・ダンスを見に行く事なのだが、ちょいと時間があるので
運転手に進められるまま、近くのお寺に行くことになった。
やはり、密教文化の雰囲気が色濃く残るバリ島。そういう所っも寄らないとあきませんな、と。
お寺の名前は知らぬ。書斎にある晴子愛用のガイドブックを調べて見たが、やはりよく判らない。
まぁ、お寺って言ってもそこここに有りますからな。

さて、先ず拝観料何某を払う。はっきり覚えていないが20,000ルピアくらいだったか。
加えて、半ズボンだったお父さんは腰巻着用を命じられる。うん、たしかタイに行った時も
そうだったな。しかしスカートの晴子は大丈夫。一体、何のために着用するのか、今ひとつ
理由がはっきりしない。
さて、ふるびた仏像が幾つか立ち並ぶお寺の境内。その背景も知らないので
分けが判らない。
取り敢えず分けも無く茉莉と二人記念撮影をする。ポーズに意味は無い。


「ローマの休日」を思い出させる彫刻が施された壁面。お約束の様にここでもパシャリ。
しかし一体何のお寺なんだろ?
後ろの大きく開いた口から中に入って見る。ぼんやり暗い奥には象の銅像とか、
横たわったお釈迦様(?)の銅像がある。
ふと気付くと現地人の案内をしていると思しきおっちゃんが音も無く我々のバックを取っている。
忍びの者で有ったなら、我々は首を掻っ切られていたかも知れん。危ない危ない。

さて、おっちゃん勝手に説明を始める。この象は知恵の神様です、とか写真とっても良いですよ、とか。
「はぁ、へぇ、ほ〜。」とか相槌を打ちながら外に出ると、
「寄付を下さい。」と求められる。「え、上で払ったよ。」ガイド「いえ、私にです。」
何か釈然としないけど、周りの外人たちも払っているみたいなので、晴子に「貴方、払ってあげなさいよ。」と
急かされて渋々10,000ルピア払う。「もっと下さい。」と厚かましく要求してくるのには、少しムッとする。
大体何でたった2分の説明に(しかも頼んでも居ないのに)払わされないとあかんのだ、と。
ガイド、作戦変更。「じゃぁ、これをルピアに換えてくれませんか?日本円、コインでは換えれないのです。」
見ると彼の手には100円玉1枚、50円玉1枚、5円玉1枚。恐らく同じようにたかられた日本人が
ポケットに入ってた小銭を渡したのであろう。計算すると10,000ルピア位ではないか。
しかし香港に住む我々とて、そんな小銭を立て替えても仕方ないので、
「御免、俺たち香港人だから、そういう小銭換えても仕方ないねん。」と流暢な日本語で断り
立ち去るのであった。ま、誰か日本から来た優しい人が換えてくれるやろ。


19時半から始まるケチャ・ダンスには未だ時間が有るので、先に夕食を済ます。
運転手さんお勧めのお店は田んぼの真ん中にあるOpen cafeっぽいお店であった。
店内には、何故か台湾人の客が多い。(言葉と服装でわかる。)恐らく団体客が
駆けつけるコースのお店になっているんだろう。
日本人は余り来ないのか、或いは茉莉と嶺が可愛いのか、店員やたらとまとわり付く。
嶺のホッペを触りたがる。ま、確かに軟らかそうではある。

頼んだのは、馬鹿の一つ覚えに近いソト・アヤム。(チキンスープ)
お店ごとに味わいが異なり、しかも美味しい。
もう一つはバリ・カレー。余り辛くないのでお子ちゃまでも大丈夫だ。

父「ゴホッ、ゴホッ。ワシの身体が丈夫だったら、お前にこんな辛い思いはさせんのにのう・・・・・。」
娘「良いのよ、お父っつぁん。気にしないで。おっかさんは買い物に遊び歩いてるけど、私がちゃんと
  面倒みたげるよ。」
父「茉莉・・・・(涙)。小さい頃、お前を逆さづりにしたまま息吹きかけてからかったり、泣くまでこちょこちょ
  くすぐったりして・・・すまんかったのう。」
娘「何?親父、お前そんな事してたのか!」

寝込んで、髭すらも手入れしていない父を労わる、親孝行の娘であった。かたじけのうござる。


ケチャ・ダンスはきちんとした舞台が有った。入場料一人100,000ルピア超。結構なお値段である。
しかも飲み物、食べ物類等は無い。唯、純粋にダンスを見るのである。
お父さんは、レストランとかの出し物で見るのかと思っていたので、一寸勘違いしていた様である。

真ん中に松明が燃えており、その周りを4〜50人くらいの男が輪になり座っている。
フンニャラフンヤラ、チャチャッ!チャチャチャチャッ!音楽で言えば、ラップの様なリズムで
ケチャェチャ言っている。奥様連中のペチャクチャという話し声とは全然違う。
一応、リズムは有っている。
パンフレットを見るところ、王様が狩に行って、ウサギか鹿を弓矢で射って、どうたらこうたら、という
筋書きらしいのだが、日が落ちるにつれ場内も暗くなり全部は読んでいない。
まぁ、入れ替わり立ち代り、女性やおじさんが出て来、男たちのケチャケチャ言う掛け声に合わせて
あの独特のクネクネ踊りを行うのである。
NHK「お母さんと一緒」でタリキヨコというお姉さんが「デ・ポン」というコーナーでバリダンスを毎回披露するので茉莉も
お馴染みだ。観衆舞台に集中して静かな会場に「で・ポン!デ・ポン!」と茉莉の叫び声が響く。勘弁してくれ・・・。


場内暗いのでカメラのフラッシュが届かない。結構、パシャパシャ取ったのだが、皆失敗だ。
次は露光調整等が出来る一眼レフのデジカメでも買うべきか・・・・・・・。(そんなお金ないでしょ!という
晴子の反応が手に取るように判る。)
ケチャ・ダンスのクライマックスは松明の上を陶酔状態の青年が裸足で歩き回り、挙句の果てには
その上に上半身裸で転がりまわる、というグロテスクなもの。
何か此処までされちゃうと、パフォーマンス臭くって興醒めしちゃうのである。
茉莉はびっくりして目を見開いている。良い子は真似しちゃ駄目だよ。


一寸奇異に感じる所は有った物の踊りの質等は間違いなく高く、家族一同満足してホテルへの帰途についた。
帰りの車の中では「ケチャケチャ!チャチャチャ!」という父の掛け声に茉莉が終始笑い転げていたのである。
こりゃ、当分使えるな。


8月7日 夏休みバリ旅行4日目 Ubud(ウブド)に行く。

前日、晩ご飯のレストランに向かう道中、晴子はナンパされた。
「貴方、何年か前のミス香港にそっくりですね。ひょっとそて本人ですか?」
ちょいとその気になった晴子、怪しげなインドネシア人と会話する。
「いま、このレストランに向かってるんですが、大分遠いでしょうか?」
「よく知らないなぁ・・・。」(其れもその筈、潰れてたんだから・・・。)
その後、聞かれる前に明日の予定・自分たちの泊まっているホテルをぺらぺら喋った結果、
翌日の運転手契約を結ぶことに迄なった。お父さんは一寸不安だった。
(こんな簡単に人を信用して良いのだろうか?)

翌日12時、彼は約束通りホテルに迎えに来ていた。
晴子、ウブドに行きたい旨を伝える。
父、未だ何となく不安なので途中で飲み物を買いたい、とスーパーに寄ってもらう。
降りて店に行く途中、自動車のナンバーを控えメモに書く。(だからって役に立つかどうか
知らないけれど・・・。)

さて、車の中では茉莉が機嫌よく母の上に座っていたかと思うと、急に怒り出したり
結構修羅場である。ま、貸切だから良いんだけど。

窓から見える風景、中々良い。
熱帯気候だからジャングルに近い自然。一言で言えば、田舎。
川之江の実家周りにある田んぼの風景に似ても居る。一寸懐かしい。

そこここに古い寺が建って居る。苔が蒸して派手な色彩が色褪せている、それが又、
その風景の魅力を増している。
唯の田舎ではない、古い歴史的文化を備えているんだぞ、と。

ホテルを出発して1時間ほど経っただろうか。目的のウブドに着いた。
田舎の中に忽然と現れた門前町の様な光景。道端に小物や、雰囲気あるホテル、
お洒落なレストラン等が立ち並ぶ。

目指すは、晴子が5年前のガイドブックで辺りを付けていたCafe Wayang.
幸いにもお店は潰れていなかった。
奥まった造りのお店である。意識的に自然を調和させた敷地の中に、ぽつりぽつりと
座敷を設置。我々が通されたのは、離れの様な建物に配された2グループ用のお座敷であった。
先客は欧米人とアジア系女性のカップル。
はいはい御免なさいよ。お子ちゃま連れで煩くて御免なさいよ。(もう、こちとらそういう視線には慣れっこだ。)
気温は決して低くは無いのだが、風通しが良いので心地よい。
お座敷なので嶺はご機嫌。茉莉は到着前から熟睡しているので父母、共に気楽である。


鳥のスープと焼き飯系のメニューに加え、父は昼からビール。極楽である。
一心地付いた後に晴子が「これは「絶対頼まないといけないの。」と、この店の
看板メニューであるらしいデザートを頼む。その名は「Death by Chocolate」。
中島ゆり子氏ご推薦とやらで、パパも一口無理矢理味見させられたが、感想は「甘過ぎる」
ダイエットしている父になんちゅうもん食わせるんや!ぷんぷん!(なら、昼からBeer飲むなって突込みが
入りそう。)
因みに、出る際にデザートを飾っているショーケースを覗いていたら、さっきのケーキの横に
「Cafe BAKA」という人を食ったような名前のケーキが有った事を加えて報告する。意味は判らない。


ウブドの街で、母はお土産様に籐製品を又覗いている。旧姓「藤田」という晴子、
籐がいたくお気に入りである。漢字(冠)が一寸違うので全然関係ないかも知れない。

ここで先日の教訓を元に、かなり強気の価格交渉を展開する。その甲斐有り、結構値引きをしてくれるが
もう一踏ん張り欲しいところ。ゆりちゃんとか、旅行の手配をしてくれたパパのスタッフにどうしても買わねばならぬ
お土産故、父も参加しての値切り交渉だが、どうもしっくり手応えが無い。
加えて、父がそれとなく財布の中身を確認した所、ルピアの現金は大して保持していない事も判明。
どうしても手持ちの金額に収めないとならない、という足枷まで付いてしまった。
10分程、すったもんだした挙句、最後の切り札カードを切る。
父「俺、これだけしか手持ち無いねん。だから値段まけて。」
これで決まり!と思った読みは外れた。
店員「じゃぁ、(買い物の数)4つじゃなくて、3つにして。ならその値段で良いよ。」
あちゃー、駄目だったか。でもここで引き下がるのは癪だから、立ち去る素振り見せる作戦だ。
父「いやぁ、それじゃ他の店見てから決めるわ。ほんまお金これだけしか無いから・・。」
父の読みは又もや外れた。店員はしつこく追いかけようとはしなかった。

運転手が待つ場所に歩きながら、晴子と分析を行う。
父「あの価格がBottomなのかなぁ?」
母「うん、多分。それより早くお土産買わないと買いに行く時間も無いよ。」
父、苦渋の決断。満額回答の値下げを得られなかったのは、(殆ど香港人と化してつつある)商社マンとして
断腸の思いであるが、ここはお土産手配という大事な任務を達成する為に妥協しよう。

手持ちの香港ドルを両替する事とする。しかしここで安易に通りの両替屋で換えてはいけない。
手持ち現金(ルピア)が寂しくなっていた父は、通りに立ち並ぶ数ある両替屋の香港ドル為替レートを
逐一チェックしていたのだ。せこい!とパパを責めるなかれ。何と驚くことにたった二百メートル程の通りに
点在する両替屋で最高と最低で何と10%も為替交換率が異なるのだ。(店の前に両替表が掲示されている。)
普通は、他の店のレートチェックしてある程度合わせるぜよ。それでも商売成り立つとは、皆さん、
余り気にせず目の前にたまたま有るお店で換えてるんだろうなぁ。

さて、そのレートの良いお店は先程ランチを食したCafe wayanの前にあった。
200メートル程戻らねばならない。(言うまでも無く、その後、又200メートル程baby carを押して店に戻り、
製品を購入して、又自動車の待つ両替屋の所に戻らねばならぬ。)
父「俺は忍び難きを忍び、香港ドルを両替をし、先程の価格を呑む。しかし俺にもプライドがある。
  先程、あれ程お金が無い、と啖呵を切りながら、その10分後におめおめと買いに行くのは、
  日本男児として余りにも情けない。故に、現金を支給するので其れにて目的のものを
  入手してくるという任務を貴殿に命じる。」
晴子は別にそんなプライドは無いので「OK!」と向かうのであった。
茉莉と車のところで留守番をする20分後、晴子は汗だくで帰艦した。
父「ウム、ご苦労であった。」
晴子、父の意図に流石に気付いたのか、目当てのものを手に入れたのに、パパを見る視線が
厳しい。
父「茉莉ちゃん、暑いねぇ。」父はさり気なく晴子を無視するのであった・・・。


8月6日 夏休みバリ旅行3日目 Kutaに行く。

旅行第3日目。
本日も朝の日課としてプールで甲羅干しをした後、昼から街に出かけるプランを
晴子が立てる。一応昨晩の内に、本日はバリでも有数の繁華街であるKutaに
出かけることを決めていたのである。

以前、使用していたサングラスは取引先とゴルフに行った際失くしてしまったらしい。
気に入ってたのに残念。
今回、南国へリゾートに行くに際し、新しくサングラスを新調した。
前回、晴子のお母さんが来港した際にめがねを作ったお店で、又もや購入した。
因みに、お父さんがこの店でサングラスを購入するのは3度目。
一つ目のサングラス(Roop Killer製)は軽くてゴルフをする時にも重宝してたのだが、
茉莉がぐにょ〜、とフレーム広げているうちに折れちゃった。

バーゲン・シーズンという事で若干安くなっていた。(が、この店年中、割引している気がする。
果たしてProper priceで購入している人は居るのかしらん?)
晴子共々、30分以上すったもんだ話し合い、20以上のめがねを試着(?)し、選んだこのメガネ。
ティエリー・ミュグレという会社、Ladiesじゃなかったっけ?と店員に聞いたところ、
「ユニセックスです。No problem。」との事。半信半疑ながら購入したこのメガネ。
茉莉が架けるとトンボのメガネである。
しかし、中々味があるなぁ。


今時、自分の頭の上の蠅も追えない若者が増えている現代にあり、
嶺は生後10ヶ月で早くも自立心を見せている。(親ばか)
身に付けている前掛けはSingapore Air Lineより頂戴したbaby set。
スヌーピーぬいぐるみに加え、斯様な小物を色々貰えるので、前掛け、塗り絵セット、
Baby foodには不自由しないのだ。有難う、航空会社。

因みにRitz Carltonの朝食ビュッフェは中々充実。写真に写っているワッフルも
目の前で、リクエストに応じて苺やバナナ等を入れ焼き上げてくれるのだ。
こんな時でもなけりゃ、中々機会無いよねぇ。(そんな事ないで、と日本から声が聞こえそう。)


おお、凛々しい顔つきとか、男前だ、と嶺の事を褒めてくれる人は結構居てくれて
有り難い事なのだが、未だ未だ赤ん坊なのである。
麦藁帽子を被ったその顔は、お父さん小さかりし頃の田舎坊主顔とそう変わりはしない。
最近、ジャニーズのとかいうアイドルに似ているんじゃないか、と騒いでる某親ばかの母親が
居るが、こうしてみるときたろうとも大して変わらんのじゃないか、と・・・。


LunchはKuta市内のクタプッタとか言うお店に向かう。
予めガイドブックで調べるところによると、ホテル・リムジンが停まる場所から徒歩20分・・・の筈、晴子曰く。
てくてく歩く。20分経ってもやはりそれらしき店は見当たらない。
横をロバの引く馬車が通り抜けていく。日本人みたいな観光客が恥ずかしそうに乗っている。
こういう観光地では馬鹿になって、ああいう風におのぼりさんを思い切り楽しんだ方が良いのでは?等と
思索しながら歩き続ける。茉莉ちゃん、重い。それもその筈、10キロ優に超えてるもんね。
上を見上げると、多数の凧が舞っている。茉莉ちゃんも見上げっぱなしで首が痛くなる程。
(何時もお父さんを見上げるのに慣れている筈なのにね。)

更に歩き続ける。加えて20分過ぎてもそれらしき店は見当たらない。もうKuta Kutaだ、等と親父ギャグが出るが
笑う気力は双方に最早無し。暫くして晴子がぽつり。「ひょっとして、潰れたんじゃ・・・。このガイドブック5年前のだし・・・。」
お父さん、笑顔が凍りつく。「マジ・・・?」
しかし更に歩き続ける。暫くすると街中に工事現場の様な場所があり、周りに華と「F○○K! Terrorist!」という
ロゴのTシャツが飾られている。顔写真等が貼られてあり、そこが昨年、爆弾テロの有った某Discoの跡地と気付く。
こんな繁華街のど真ん中で爆破テロがあったのか!と驚愕。一体何考えとるんや!と憤慨。

ふと気付くと、看板発見。それが晴子5年前のガイドブックで当たりを付けていたお店であった。


Lunchを頂いた後は、道の端に並ぶ小物屋等にある籐の手編みかばん・小物等を見ながらぷらぷら歩く。
途中、ビーズ加工用の石とか籐製ランチョンマットを覗く。彼らの提示する1st offer価格は概して
客の顔つきを見て臨機応変に調整するので、金持ちそうな(?)或いはちょろそうな晴子を見て出される価格は
当然高い。父は横でそれを聞きつつ、香港ドルでこの値段だったら買うかなぁ?等と思いながら、黙って見ている。
こういう価格を聞いたり交渉したりするのも買い物の楽しみの一つである事をちゃんと理解しているのであるのだよ、
なんて優しい旦那様、と言いたい所だが、何のことは無い。実はルピアの現金はお父さんが持っているので、
晴子が自分で買う事は出来ないのである。

川之江のお袋がよく作ってくれた巻き寿司。旨かったなぁ・・・。突然、何のことだ?と思われるだろうが、
晴子、籐細工の巻き寿司作るときに使う簾みたいなランチョンマットに興味を示す。
一つ50,000ルピア。(お父さん、頭の中で簾が800円ねぇ・・・。又、馬鹿にした値段やねぇ。と見ている。)
晴子、真剣に考えている。(父:え、嘘?)パパをちらっと見て、「高いよねぇ・・・。」パパ「誰が見ても高いと思うぞ。」
晴子、少し勇気を出して価格交渉に入る。英語が通じるので余り不便はない。
結局、余り値段が下がらないので断念。父「あんなん、香港でも買えるんじゃないの?」
晴子「いやいや、結構高いのよ、ああいうの。」
父「じゃぁ、もっと真剣に値切ったら?立ち去る素振りしたら値段下げると思うよ。欲しいんだったら交渉したげようか?」
晴子「う〜ん、でも高いから良いや。」
父「じゃぁ、2個で30,000ルピアになったら買うか?」
晴子「そんなに安く言ったらお店の人怒るよ。」

父「Excuse me. Please discount to Rp 30,000 for two. I have no money.」
店員「そりゃ、安すぎるよ、何たらかんたら。」
父「残念だなぁ。今日はお金が無いから。又、明日考えるよ。」
店員「OK. 2つで30,000ルピア。」  商談成立。

晴子「貴方、あんなに値切っちゃって可哀想じゃない。インドネシアの人は貧しいのに・・・。」
折角、お前の為に交渉してあげたのに・・・・。夫は報われない。

話には落ちがある。その後、またまたガイドブックに載っていた工場直営の籐製品ショップに移動して
晴子、バッグを買おうとした際、先程値切って購入した巻き寿司簾(の様なランチョンマット)を発見。
気になる値段は・・・・・・一つ15,000ルピア。結局、俺の指値が正しかったんじゃないか!
因みにこのお店では類似の製品を値切って交渉しようとしましたが、これがbestofferだから、という事で
一銭もまけてくれませんでした。此れ以降、晴子はお父さんが値切って購入したこの籐製品については
不満を言わなくなりました。満足也。

夜食は又しても晴子が(5年前の)ガイドブックで目星をつけておいた海鮮料理屋。
先程の籐製品屋から、晴子曰く徒歩で15分程の所にあるレストラン目指し、又もや歩く。
案の定、又見当たらない。20分後・・・・未だ見当たらない。
更に10分後・・・・・未だ見当たらない。
父「潰れちゃったんじゃないの?」
晴子「多分、もう少し行ったら見つかるって。近くに○○っていう日本料理屋が有って・・・。」
父「その日本料理屋ってこれじゃない?」
晴子「あ・・・・・・・。無い・・・。」
やはり5年前のガイドブックを当てにしているようでは駄目であった。

結局、適当に目に付いたインドネシアレストランに入る。
店内ガラガラの空席だらけ。蚊が飛び回る。(一応、客席の周りに蚊取り線香を配置してくれる。)
ガイドブックを見て覚えたてのインドネシア語を駆使し、これまた覚えたての調味料名、
「ミンタ・サンバル(サンバル下さい。)」と頼むが通じない。簡単そうに思っていたインドネシア語、中々侮り難し。




8月5日 夏休みバリ旅行2日目 ヌサ・ドゥアへ行く

香港は天候ぐつつき気味、日本は台風接近を受けて大雨という最中、当地は晴天が続く。
昨晩遅くにCheck inした為に良く判らなかったホテルは、明るくなるとこれ又素敵。
1階である我々の部屋、バルコニーからはそのまま芝生の庭が続いている。
テラスは唯唯広く、ヒンズー教文化の匂いをさりげなく散りばめた造り。

プールは二段あり、」子供連れで遊ぶ上の段、プールサイドから見ると海にそのまま続く様に
配置されている。

ブーゲンビリアとやらの花が咲き乱れ、新婚カップル(晴子曰く、「あのカップル
見合い結婚ね。すぐ判るわ。」と言わしめるカップル含む。)や、ASEAN辺りの金持ち風家族が
優雅に過ごしている風景。良いじゃない、良いじゃない、と納得する石村家。

しかし率直に言うと、子供連れで無い限り、別のホテルのほうが良いだろう。
だって茉莉を始め、泣き声煩かっただろうから。朝のビュッフェを充実である。
小鳥等が寄ってくるスペースで、のんびり朝昼兼用のブランチを戴くのである。


ゆっくり、ホテルのプールで遊んだ後は、ホテルの無料シャトルバスが出ている
ヌサドゥバとやらに向かう。晴子曰く、政府が力を入れて開発している観光地区とか。


ショッピング・センター迄送迎してくれたホテルの運転手に、一応チップでも、と思い
財布を捜したが、手頃な額のお札が無いので1,000ルピア札を一枚渡す。
取り立てて喜びもしないので、失礼な奴だな、と思っていたら、晴子「貴方、たった
1,000ルピアなんて失礼よ。彼困ってたじゃない。」
考えて見たらHK$1.- ( = 約JPN \16.- ) 
幾らインドネシアでも流石に子供の小遣いにもならんな、考えて見たら。
いや、失礼したのはお父さんだった。面目無い。

Dinnerを食べる場所は晴子が既に考えていた。
ヌサドゥバのShopping Centerから車で10分程の距離との事。
時間も有るので歩いていこう、と。
途中、観光案内所等で場所を確認しながら歩く。歩いて20分位掛かるので
Taxiに乗っていけ、とやたら薦められるが、20分位歩かんでどうする!足が退化しちゃうぞ。
「5,000ルピアで良いよ!」との声が聞こえた。ん?80円?
けちる程でもないんだけど初志貫徹で歩く。途中、茉莉ちゃんのオムツを替えていると、
足元から大きな蟻が皆の足によじ登ってきて、あちこち噛む。結構痛い。茉莉も泣き出す。
「一寸失敗したかな?」とぼやきながら10分程歩いたら、その店は前触れも無く突然現れた。
5時過ぎということで金髪の若い女性二人組が気だるそうにビールを飲んでいだけ。
はいはい、御免なさいよ。これからちょいと騒がしくなりますよ、と思いながら、お上りさん一家は
奥のほうに通される。
父、無性に蟹が食べたかったので、ビールと共に注文する。母はインドネシア風焼き鳥と
ナシゴレン(焼き飯)。何か普通だなぁ。
さて、main dishであるはずの蟹。予想してたものの1/3位の大きさの子蟹が5匹程出てきた。
余りに小さくて食べるところが殆ど無い。もどかしい。
結局夜食のお値段は150,000ルピア位だったろうか。(2,300円位)
お店の人にタクシーを手配してもらい、40,000ルピアで手を打つ。
あっさり決まったので30,000ルピア位から交渉始めたほうが良かったのか、帰りの道中、
女々しく思索。明日からはもう少しきつめに値段交渉してみよう。(目くじら立てるほどの金額じゃ
ないけど・・・。)



8月4日 夏休みはバリ

花の都・・・・・・それはパリ。石村さん、そのギャグ5回くらい聞きましたよ、と
J'sのTeam mateに呆れられながら、行って来ました、バリ島に。
思えば、過去3年間新婚時代から休暇取得する度にその都度候補に挙げられながら
何時も高いから、という理由で敬遠してきた島。
そうは言っても、もう何時日本に帰って来い、という令状が出ても可笑しくない立場、
今年を逃して二度と行くチャンスは無いかもしれない、と今年は腹を括りました、お父ちゃんは。
6月末日、晴子が安いパックツアーを探してきた。3泊4日でHK$4,000.-を切るCathayのTour。
「テロ直後はあんなに安い航空券が有ったじゃないか。(HK$500.- return ticket!!)
もっと粘るんだ!晴子の提案は却下された。
しかぁし!意外にもバリ人気は早くも復活していたのである。お父さんの読みは外れた。
慌てて、現地系の旅行会社を探して見るが、中々安いのが無い。HKL$5,000.-を超えるのが
今年の相場か。(でも昨年まではHK$7,000.-位してた記憶があるから安くはなっている。)
そんな話をスタッフに話していたら、彼女が持っているStandard & Chartered Bank発行Credit Cardが
手配している旅行にHK$4,000.-(大人)を切るツアーが有った!スタ・チャンのCredit Cardを持たぬ
父はスタッフにカードで立替払いをして貰い、見合い分を小切手で払いこの格安旅行券を入手したので
ある。とはいえ、Singapore乗り換えで飛行時間は6時間超+飛行機待ち時間と8時間位を要する為
第一日目と最終日は移動だけで終わってしまう。そこで2日間延長し5泊6日、大人2人+幼児2人で
HK$12,000.-だ!安い・・・・。
初日のFlightは13:30。Singapore迄3.5時間の旅。
しょっちゅう動き回る茉莉が、この時間を耐えれるかどうかが鬼門で有ったのだが、
飛行機の映画で熱帯魚が主人公のアニメがやっていて、これに結構集中。割と上出来である。
片や嶺は何時もの如く静かにニコニコ微笑んでいる。お前、ほんまに親孝行の息子やのう・・・。

シンガポールの空港は遊園地の様。流石アジアのハブ空港。シャワーからコンビニ、
子供用Play Ground、マッサージまで何でもある。2時間の時間潰しなんてお茶の子さいさいだ。
ちょっとしたテラスがあり、其処には何故かひまわりが植えてある。
ひまわりに何か意味があるのだろうか?


はてさてあっという間に搭乗時間になり、次はSingaporeからDenpasar空港へ2時間超の旅。
この中でも夜食と、スヌーピーの何とか言う少年のぬいぐるみをもらう。Singaporeに来る際にも
茉莉と嶺、二人にくれたので早くも4個である。更に言えば、この後香港に戻る際にも同様に
くれたので現在我が家にはこのぬいぐるみが8つも有ったりする・・・。

さて、Denpasarに着いたのは折るの9時半。為替RateはHK$1 = 1,000ルピアと言った所か。
計算が簡単でよい。しかし100,000ルピア札って、金額が大きいので何か金持ちになった
気分だ。空港よりホテルまでは空港タクシーで向かう。お代金は50,000ルピア。
今回宿泊するホテルは中島ユリちゃんお勧めのRits Carltonだ。
移動時間は妬く20分。真っ暗なので風景も良く見えず、今ひとつバリに来たぜ、という雰囲気が
盛り上がらない。ホテルの敷地に入る門で、守衛の人たちに車が囲まれ金属探知機の様なもので
車を検査する。先日の爆破テロ以降、取っている措置であろう。うん、しっかりやってくれ給え。
しかし、こういうのってプラスチック爆弾とかだったら反応するんだろうか?
しかも俺の荷物にはデジカメ、パソコン等電子部品満載してたけど、開けられもしなかったぞ。
果たしてこの検査意味有るのか?



ホテルに着くと白い花の首飾りが渡され、美人の女性が父のほっぺにチュッというサービスは
無かったが、綺麗なホテルである。そして敷地が広い!部屋も広い!
明日は先ずホテル内をうろうろしましょう、と決めて疲れた4人はころっと寝床に入るのである。




7月26日 久しぶりにバスケットの試合応援

その日は練習が無く、いきなり19時より試合だったので家族総出でお父さんの
応援に出かけました。前日取引先にたらふく真露(韓国の人造アルコール)を飲まされ
1日ダウンしていたお父さんも重い身体を引き釣り試合に出るのであります。
もう若くないのでWarming Upはきちんとせなあかん。取り急ぎ、茉莉の体の周りを
ドリブルして指先の感覚を掴みます。勿論この時に、茉莉にドリブル・カットされる様では
幾ら背が高いと言っても試合には出してもらえません。(しかも二日酔いでろくに走れないし。
元陸上部選手の面影や何処に・・・。)茉莉の身体の周りをポンポンドリブルされると
もう大はしゃぎ。笑いが止まりません。笑い袋みたいです。



さて、試合でのお父さんは悲惨な状況でした。向こうはリーグ優勝候補と目される有力チーム。
方や、こちとら日本人駐在員寄せ集めチーム。(実力は中の上位。)テクニックとシュート力の無さを
根性と頭脳で補うのだ!と言われても、最初の頃こそ、リバウンドを取りにジャンプする力こそ有れ、
直ぐにガス欠、その後は昨晩の焼肉の匂いを感じながら、正しく根性でコート内を”這いずる”ので
あった。おまけにゴール下で相手チームの膝が、お父さんのか弱き太腿に絶妙の角度で”蹴り”入り、
右足上がりません。
父の疲労困憊の姿を見てか、茉莉、Half Timeの休憩時間に「パパ、お水どうじょ!」と
ペットボトル持ってきてくれる。嗚呼、やはり娘を授かって良かったなぁ。。
(気になる試合結果、ダブル・スコア ”= 相手チームに2倍以上の点を取られること”で敗戦。)


7月20日 Wing家の家庭プール

我がアパートにもプールはあります。引越しして2年、一度も入ったこと無いけど。
茉莉も2歳になり、プール用おむつを付ければ水遊びを楽しめる年頃になりました。
そうでなくとも朝食食べてるお父さんに「パパ、おふぅろ、おふぅろ。」と催促してくる
程のお風呂好き。お水遊びはお気に入りなのだ。しかぁし、我が家のプールは深すぎる。
Discovery Bay Golf Clubはちょいと遠い。
と、言うことでお馴染みStanleyのWing家のお庭にあるプールにお邪魔さまなのだ。
やっぱり良いねぇ、お庭付きは。
余談だが、晴子の大阪時代の同期(同僚)が、将来の旦那さんについて希望等を
話していた折に、某中村(仮名)は「私、一戸建てに住んでいる人でなきゃ嫌。」、と
のたもうていたらしい。それを晴子から聞いた筆者は「川之江に住むんで良いなら、
将来それ位は出来るかも知れんけどなぁ。」と話した記憶がかすかにある様な気がする。
因みに中村(仮名)は未だ独身。一戸建て付きの男、未だに」探しているんだろうか?
Wingさん曰く、「庭の手入れが大変。」というのは本当だろうが、子供の成育には
良い環境に違いない。羨ましいもんだ。(勿論、彼らはローンを今も払っているんだけど。)

さて、簡易プールといえど、舐めてもらっては困る。この空気入れが又大変なのだ。
入れっぱなしで良いというわけではない。Signal 8が来たりした日には何処か飛んでいく
かも知れないので、毎回使った後は畳んでしまっとくんだそうな。

ともあれ、子供たちが水遊び興じている間に、お父さんたちは傍らのオープンテラスで
ビールを飲みながら会話を楽しむ。何か、格好良いねぇ、と、思ってたら足、蚊に噛まれてた。
日本脳炎が流行っている昨今、蚊にも気をつけましょう。
(筆者、昨年それが原因と思われる蜂巣炎で入院した経緯有り。)


茉莉の水着は未だ小さ目か。昨年に続き、今年も小さい様では、来年もこれでいけそうだ。
(3年越しか、経済的で有り難い。)
因みに、嶺はプール用おむつのみ着用。


7月1日 久しぶりにDiscovery Bay Golf Clubにお食事へ。

夏真っ盛り、石村家の目的は同Clubに有る子供プールであったのだが
生憎、最深4メートル有るプールはオープンしているものの、子供用が開くのは
来週から、とがっくりだったのである。嶺の表情も心なしかガックシ。
茉莉、何時からあんたはそんな目つきをするようになったの?
差し詰め小悪魔茉莉か。お父さん、そんな目つきに騙されてみたい、って
感想が出る事自体親父ですな・・・・。
まぁ、兎に角暑いです。皆さん、夏バテにお気を付けて。(筆者は既に夏バテ気味です。)

6月23日。。。。それは趣旨は違うんだけどお父さんの30+ン歳の誕生日。
この日は残業を早めに切り上げてさっさと帰宅、晴子の手作り料理をご馳走に
なりました。
日本にいる間にすっかりお母ちゃん子になってしまった嶺は、お父さんに抱かれると
食べられるとでも思っているのか、直ぐに泣いてしまう。
嗚呼、この忘れっぽさは猫並。その点茉莉ちゃんは、ちゃんとお父さんの匂いを
覚えてくれているのか、じゃれ付いてくる。可愛い可愛い、小遣いでも要るか?ン?ン?
余談では有るが、男が「おっさん」になったと判るのは、台詞にこの「ン?ン?」という
疑問符が語尾に付いた時からなんだそう。確かに若者は使わんなぁ・・・。


6月22日 お久しぶりです。いや、決してサボってたわけではなくて・・・・。

4月6日に急遽日本に退避して、早2ヵ月半、漸くSARSの拡大にも
陰りが見えて来たお陰で、晴れて妻子を迎えに行くことが出来ました。
6月、梅雨に入った日本は毎日雨が降り、これまた久方ぶりに帰省した
川之江(直に四国中央市という恥ずかしい名前に変わるらしいですが)の
田畑には、つい今しがた田植えを終えたばかりの様な、小さな苗が
植わっています。近づいて見るとおたまじゃくしが。
茉莉ポンがおたまじゃくしを恐る恐る覗き込んでいる様子も撮影してたんですが
デジカメの調子が悪いのか、全部消えてました。
それが口実ではないのですが、新しいデジカメを晴子にせがまれて買いました。
Panaconic のLUMIX DMC-F1。(雑誌ですごく評価が高かったので選びました。)
さすがに新しいデジカメ、画像がすごく綺麗ですね。
残念ながらホームページはデータ容量の都合があるので、圧縮して掲載しますが
晴子と二人して「凄いねぇ。前のとは(今まで使っていた友人より購入した中古品)
月とすっぽん位違うねぇ。」と感動しています。

晴子の実家にはお庭がありまして、ここで毎日茉莉は鳩に餌をやり、
ゴルフの練習と、香港ではとても望めないような暮らしをしてました。
(川之江なら当たり前の生活だけど)
考えるに、そちらの方が子供の成育には良いのだろうけど、このままでは
お父さんの顔を忘れられかねないので、連れて帰ることとする。
下はお庭の紫陽花。綺麗に色づいて正に見頃である。


嶺、初めて頭髪を切る。何故か耳の上の部分だけが異常に長くなっており
初めて会う人には、あら、中国式の髪型ですか?と聞かれるのだが
そんなことは無い。未だ8ヶ月ですぜ。
顔立ちもあるのだが、女の子みたいに見えるので横髪だけ切る。
横を切るだけでいい感じ。漸く男の子らしい雰囲気だ。
しかし、ちょいと見ない間に大きくもなったが、泣き虫になった様だ。
ビービー泣いている。甘えん坊になったのでは?


嶺、父知らぬ間に掴まり立ち。
茉莉が何時ごろ掴まり立ちしたか忘れたが、もう少し遅かったような・・・。
直に歩き出すようになるのだろうか?
お父さん、一寸寂しい気分。


茉莉もライバル心剥き出し。
今更立った、走った、転んだ位じゃ喜んでくれないから、
私は逆立ちでもしなくっちゃ、と腕立て伏せで腕力を鍛えるのだ。
そういやお父さんがスクワットをしている時、よく隣に来て一緒にしゃがんでたな。
体を鍛えるのは気持ちが良いねぇ。


Happy birthday 茉莉ぽん

大好きなイチゴケーキの上に誇らしげに立てられた2本の蝋燭。
将来水泳選手を目指す茉莉ぽんも、まだ肺活量は足りず、
中々その炎は消えない。一緒に唾も飛び散りそうな迫力溢れる絵である。
因みにSARS(非典型肺炎)はそうした体液が飛沫し、感染するのである。

何故、香港・華南地方で流行したか?ここ1月来客はぱったりと途絶え、
週に2日程度行ってた中国出張も強い自粛という時間的に余裕のある(=暇な)
この時を利用して考察してみた。
父の仮説はこうである。
中国と一口に言えども、広い中華帝国。そこここに特有の言語がある。
無論、普通語が標準語ではあるが、日常彼らが使うのはその土地の言葉である。
(日本語の標準語=東京地方の言葉と言えども、四国のお袋は伊予弁しか
 喋らんのんぢゃわ。)
香港は言わずと知れた広東語である。否、言わずと知れたと言っても、6年前の
お父さんは良く理解していなかった。だからあんなに真面目に普通語を勉強したん
でしょうね。(現実)--->普通語殆ど使わない。

さて、この広東語、声音が9つに跨りやたら破裂音が多い。会話も大きくなりがち。
ついつい声が大きくなりがちな、そして破裂音の多い広東語喋っているうちに
多分唾が一杯飛び散っているんでしょうな。それでlコロナウイルスがあっという間に
広まった・・・・・・・んちゃうやろか?


でかい!でか過ぎるぞ、鯛さん。
そういやお父さんが子供のころ、「泳げ鯛焼き君」という歌が流行ったなぁ。
確か兄貴がレコードを買ってきてくれて、そのレコードがお父さんの初めての
My recordであった。一昨日の晩、練習を終えた後J'sの連中と食事をしている時
「ビール2本・・・・・・でもサンダル。」とボケたら皆「懐かしい!」とウケた。
言わずと知れた「泳げ鯛焼き君」のB面シングル「一本でもニンジン」のフレーズである。
その場で盛り上がったこの歌の話。何とサラリーマン哀歌だったんですな・・・。

で、この鯛は如何様に食されたのか?遠く香港で毎晩カップヌードルを食べている
お父さんは知らない。



とぼけたポーズを決める茉莉ポン。
モデルの資質十分だ!

 <---- 横山大観作「とぼけ顔」


さようなら、茉莉ぽん、嶺君、ついでに晴子どん

何時になったら又会えるのか?誰も知らない。
別れはある日突然に。とある金曜日、石村家では家族会議の結果、
翌日土曜日に家族を日本に帰す事が急遽決定された。
折りしも芦屋の実家は翌日お婆ちゃんの法事があり、月曜日にはメリケンから
外人が泊まりに来る、そんな中、招かざる客という立場は判っちゃ居るけれど
もう私耐えられません、実家に帰らせて頂きます、とばかり
子供を連れて、人知れず目立たぬようにマスク着用で帰途に着いたのであった。

嗚呼、日本は今や桜満開。俺たちゃ香港帰り、咳やくしゃみをした日にやぁ、
やれ彼は今流行のSARSでは?と訝しがられるのが落ちとくりゃぁ、したい咳も
ぐっと噛み締め必死で我慢はするのだが、出物腫れ物所構わずと、鼻水が
ずるりずりと垂れてくる。
日本を離れて5年半、忘れていたけど、このオイラ、田舎の出ながら花粉症。
どうぞ皆さん楽にしておくんなまし、と鼻水一つにも言い訳がましくなってしまうのであった。

はてさて、何時になったらSARS騒動は落ち着くのか?
何時になったら彼女達は香港に戻ってこれるのか? 4月14日現在、Nobody knows.



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  お父さんが参加している香港日本人バスケットボール倶楽部のホームページ。
                良かったら覗いてください。