Mascot Girl Mari.

父が所属するBasketball teamの一つ、Super J's.
もともとJ'sというTeamに所属して前期のLeagueに参加していた所優勝、
今SeasonはJ'sとSuper J'sの2チームを登録して参加中。
父の参加するSuper J'sは名前からすると強いteamの様に聞こえるが実は弱い。
今Seasonは負けが込んでいる。そこへ来て2週間前の練習で足首の酷い捻挫を
やってしまい、残り少ない香港生活、果たして万全の状態で試合に臨めるのは何時か?
晴子も子供達も危なっかしくとても見て入られない」と、相変わらず応援に来ない。

以下は珍しく家族が応援に来て勝利を挙げた時のスナップ。
茉莉の微妙な腰のシナがモデルの素質を感じさせる。
省吾に抱え挙げられた嶺は小さい小さい。体重費1:10位である・・・。


現在の住居、Covention Plaza Service Apartment。
共通スペースにプールがある。当然というかホテルのPool兼ねているので
広い、バスタオルも使い放題、Pool sideでは飲み物も注文できる。
が、利用しているのはやはりService Apartmentの住人が多い。
ビルの谷間に存在するプール、贅沢な環境だ。

因みに我が家もいよいよ来月帰国が決まった。
先日、東京東京出張時に妻も連れて行き、父が仕事をしている間に晴子が
候補のアパートを幾つか回ったが、その後土曜日に父も見に行った部屋ではなく
別の部屋に決めちゃったので、どんな所か知らない。
晴子曰く「プレハブ建てみたいなアパート」という事なので、少なくとも
プールは付いていない筈。子供達よ、残り少ない香港生活、後1ヶ月、精精贅沢な
環境を楽しむが良い。でもプールの中でおしっこはするな。



芦屋より晴子のご両親がやって来た。結婚以来何度か来港されて来たが、流石にご案内するのも
これが最後であろう。7月1日香港返還日の前日(30日)に入ってこられたが、父は直前迄中国出張。
前日はAberdeenの水上レストラン、「Jumbo」に行かれたとの事。
Jumbo、といえば団体旅行客が放り込まれる安かろう不味かろうの代表的レストランというイメージが
有ったが(父は過去一度しか行ったことないけど)、減る客足を挽回する為、色々努力して今はまぁまぁの
味になっているとか。(晴子談)実際のところどうなのあろう?

来港翌日1日は上述香港返還記念日で祝日。毎年この祝日には派手に花火が打ち上げられるので、
折角来港されているお二方の為にも、とGrand Hyatt HotelのPool sideにある"The Grill?"というお店を
(晴子が)予約した。全く、彼女はよく知っているよ、こういう高い店。(父は今回初めて知った。)
Grand Hyattは例年花火が打ち上げられる場所の正面に位置し、そのPool sideで見上げる景色や
迫力満点!!の筈であった。
所が、タイミング悪く台風が香港へ向かって接近してきており、午後の段階で屋外レストランのThe Grillは
本日休業を宣言!全く商売っ気の無いお店やなぁ、と思いながらも、別のお店を探さねばならない。
ここでふと父の頭に浮かんだのが、その昔香港人が「今日で決めてやる!」という大事なデートの時に
使ったと言われる湾仔Hopewell Centreにある回転レストラン"R66"。
その昔、取引先のSunny Hoに案内された事もある、晴子を連れて行ったこともあるレストランである。
30年前このHopewell Centreは香港で一番高いビルだった。その最上階に位置する回転レストラン。
回転レストランと言ってもお寿司や中華料理ががベルトコンベアーの乗って運ばれてくるのではない、
レストラン自体が回っているので、360度景色が楽しめるという趣向。66分で1回転するので店名がR66.
しかし当日66分経っても元の景色に戻ってこないので尋ねたところ、30年前は66分だったが、今は
90分位で一周との事。モーターもへたってしまっちゃったのだろうか?
で、今やHopewell Centreよりも高いビルが次々と出来てしまい、今や苑影は薄くなるばかり。
案の定、当日の16時に予約の電話をしてちゃんと窓際の席6つが確保できた。盛者必衰であるな。

花火は20時である。ビュッフェ方式の当レストランでこれでもか、これでもか、とお代わりしながら
花火を待つ。因みに筆者は牡蠣が好き。ビュッフェの中にちゃんと生Oysterが置かれてある。
香港でOysterって結構高くて、一つHK$60.-以上出さないと駄目な為、ろくに食べるチャンス無かった
のだがここぞとばかり何度もOysterのお代わりをする。もとは取ったな。

で、20時、を5分ほど過ぎた頃だろうか?そこら中のビルの屋上から花火が上がりだした、が
みすぼらしい。なんか、こう、夏、合宿等で海に行った折、浜辺で遊ぶそこら辺のお店で売っている
15連発の打ち上げ花火、を一寸大きくした様な、これで花火大会って、貴様一応飛ぶ鳥を落とす勢いの
中国(の一員)だろうが!日本から来ている客人が居るんだ、香港を見くびられるぞ!との心の叫びも
むなしく、みすぼらしい花火は最後までみすぼらしいままだった。
後日、香港人の取引先とその話をしたら「ああ、今年は最後まで花火大会のスポンサーが見つからな
くって大会をキャンセルをしよう、という話だったんだよ。直前になって漸くスポンサーが見つかったんだけ
どね。」という事。
かと思えば、2月の旧正月前より4月まで、毎日600万円以上のお金を掛けて20時にビルの屋上から
花火を上げていた香港政庁。本当にお金の使い方が下手ですなぁ・・・・。


香港のみすぼらしい花火を鑑笑してもらった翌日、義父と父はDiscovery Bay Golf Courseで再戦をした。
8時スタートなので暑さはそうでもない。島にあるコースなので風も結構吹いている。
現在週に数度のゴルフを悠々自適で楽しまれている義父と、まがりなりにもClub Mmberである筆者の戦い、
どちらが勝つか予想は難しく思えたが、所詮何処に行くかはボールに聞いてくれ、というレヴェルの筆者が
敢え無く30以上のスコア差を付けられ惜敗した。おまけに結婚前、晴子より誕生日祝いに贈られたゴルフ・
シューズの底が途中から剥がれ、スリッパ状態になるというオマケ付き。
ゴルフも、日本に帰ったら少しは打ちっぱなし練習場にでも行き、腕を鍛えるか・・・と思ったけど考えたら
車持つの難しそうだったんだ。どうやらゴルフには今後も余り上達の縁は無さそうだ。

ゴルフを楽しんだ翌土曜日、再び中国シンセンへ。昨年末初めてシンセンにご案内した際
いたく気に入られたらしく今回も特別指定でリクエスト。
何を買ったかはここでは割愛するが、シンセン市の税収入に又もや貢献して帰ってきた。
写真は香港から出ている列車の終着駅「羅湖」(シンセン)
休日という事も有り、プラットフォームはごった返し、一本電車を見送らねばならぬほど。



中国蛇口のお宅拝見 - Angelaの里帰り2

Angelaの両親は現在シンセンの蛇口という所にアパートを購入し、悠々自適の生活を
送る。息子は香港に住むが、香港のアパートは手狭なので蛇口の方が広く生活費も安い、という
訳だ。Angelaより、蛇口に遊びにいらっしゃい、と招待を受け6月20日Ferryに乗って伺った。
因みに父は仕事でしょっちゅう蛇口港を利用しており、今週3度目の蛇口訪問だった。
晴子にとっては初訪問、子供達も勿論初めてだ。シンセンといってもかなり広い。
晴子がよく服を作りに行く羅湖はごった返したショッピング街の様相を呈しているが
蛇口は外資系進出企業が多いこともあり、居住環境整った住宅地の雰囲気である。
港に迎えに来てくれたAngelaが四川料理店に案内してくれた。巴蜀風(8325-4969)
所謂老房子といった風情のお店。四川料理という事で、当然辛い。子供達が食べれるような
辛くない坦坦麺等もあるが、やはり花椒のびりびり来る辛さが本格的。やはり四川料理は
中国でないと本格的な味が楽しめられないなぁ。
Angelaの弟の奥さんと父上の友人の娘も同席。
Angela弟の奥さんは上海人なのだが、香港人と結婚しても5年間は香港ID貰えないのだとか。
後1年たてば漸くID取得出来るので、晴れて夫婦一緒に暮らすことが出来るんだと。辛いねぇ。
父上の友人の娘は最近旦那と離婚し傷心の最中なので、上海から遊びに来ているのだと。
色々な人間模様が交錯しているのである。

Angelaの父はデジカメやビデオを「今日は香港から日本人の友人が遊びに来てくれました」等と
ナレーションをいれながら撮影している。
食事を終えてお邪魔したアパートは、リゾートホテルを意識したつくりのマンション。
部屋の中には大画面TVと大きなエアコンが。
晴子は「中国って発展途上国という印象持っていたけど、これじゃ私達の部屋と
殆ど変わらないんじゃないかしら。」と目から鱗が落ちたかの様な驚きようであった。
中国、舐めたらあきません。
因みに1,000スクウェア・フィート辺りのこのマンション、販売価格は60万人民元程との事だから
1,000万円程度。普通の中国人にとっては手が届かない価格だが、香港人にとっては買えない金額ではない。
我が家も晴子が独身OL時代にしこたま溜め込んだ貯金を全て父に差出し、父が株で運用すれば買えそうな気がする。
中国語が話せる香港人が仕事引退した後住むには良い所なんでしょう。

Angelaの蛇口マンション程、中国中国してはいないが我が家が現在住むConvention Plaza Apartも
悪くない。Grand HyattとNew World Renessance Hotelの間に立地しているため、施設は共用出来る
のである。例えば子供用と大人用に分かれたプール、テニスコート、ゴルフの練習場(小さい)、
スポーツジム、子供用Play Ground & Play room、はたまたJogging Courseも。
こんな所、駐在期間中でないと一生住めません。(六本木ヒルズってこんなんかも知れんけど。)
人工的に作り上げた中庭にあるJogging Courseは自動車を気にせず子供を解放出来るという点で
有り難い。精精家から出て元気に遊んで貰いたい。


6月26日 Elleneの誕生Party

幼稚園の友達であるMilleneより自宅で行われる誕生partyに誘われた。
父「Milleneってどんな子?」
晴子「それが判らないのよ。茉莉と仲が良いらしいんだけど・・・。」
プールも有るので水着持参で、というInvitation Cardに従い水着を着込んでMid Levelのアパートへ。
あ、ここは前のアパートに住んでいる時、父が朝、茉莉を幼稚園に連れて歩いた道ではないか。
アパートの25階・・・A, B, Cとかいった区切りが無いところを見ると1 Floor丸々こちらのお宅なんですな。
部屋に入るとインド人の家族が出迎えてくれる。嗚呼、この娘だったか。覚えているぞ、デジカメの画像で
だけだけど。向こうの母親は茉莉の事を知っているらしい。「Hello, Mary!! Thank you for coming!」
まぁ、あれだけ幼稚園に近いと(徒歩3分位の場所)母上が迎えに行っているんだろう。
このインド人のお母さん・・・・・・超美人である。年は40歳後半だろうか、さぞかし若い頃はもてまくった
んだろう、と容易に推測させる風貌。世界3大美人産地って確か3Cだったよな、ChiliにColombiaに
・・・・・・あと一つが思い出せない。Chinaでは無いはずだけど。
26階の屋上は25階の住人である彼らの敷地に含まれた居るのか、半分がOpenで星が見れるようになっており
半分は透明樹脂板で設置した屋根。その下に大画面TVとステレオ等を設置している。
そこへ直径2メートルほどの簡易プールを膨らませている趣向。夜はここでワインなぞ愛でながら
横たわり音楽を聴くのだろうか?インド人の家にお邪魔したのは初めてだが、やはりインド風の絵画、
壷、彫刻等があちこちに飾られてあり興味深い。中国人のお宅に中国芸術品等が多く飾られているのと
同様だ。翻って我が家、特段日本の芸術品、工芸品等を飾っているわけでも無し。知っている限り他の
日本人家庭も同様か。日本人のアイデンティティや何処へ?


Angelaの里帰り

もうあれから2年になるのか、父の中国語家庭教師だったAngelaが結婚するため
L.A.に発ち、晴子&茉莉と空港で見送ってから。
今や彼女は一児の母。2年ぶりに愛娘Shireneと2年ぶりの里帰りである。
Shireneでかい。Too bigだ。嶺よりも明らかにでかい。生まれは後のはずなのに。
やはりアメリカは食べ物が違うのかなぁ?
流石に筆者はもう香港に居ないと思っていたらしいのだが、会社のmail addressは
世界中何処の国へ行っても変わらないので、今後も連絡が付く。有り難い話だ。

スレンダーで今時の若い女性だったAngelaも流石に主婦生活&出産を経て
お腹にたるみが。。。。。(服の上から判るところが悲しい。)
久し振りに晩御飯でも、という事で日本人クラブに招待したのであった。
流石に2年ぶりとなると積もる話も・・・・・・・・晴子と一杯有った様。
父はその横で子供の面倒を。
はてさて、又会える日が来るかなぁ?
将来ロサンゼルス支店の駐在員にでもなれば、機会も有るんだろうが
父は今のままだと中国商権要員になりそうだからなぁ・・・・・。


Mid Levelに住んで3年。アパートのオーナーは色々良くしてくれた。
祝日やお祝い事の度に、子供や妻にお祝いをくれたり、自分の家で雇っている
アマさんを週一日派遣してくれたり。
でも彼も香港の不動産バブル時に購入したアパートのローン返済には手を焼いてたらしく
遂に手放すことになった。ついては我が家に出て行ってくれ、と。
5月くらいには帰国かな?と思っていた我が家だが、予想に反して未だ内示も出ないので
(香港に長く居れるのはhappyなんだけど。)慌てて新しい住まいを探す。
会社はアパート契約する場合2年契約が基本的な決まりなんだけど
流石にそんなには居ないだろうという事で、3ヶ月単位の契約を出来るサービス・アパートメントと
いう条件が付いた。
まぁ、長期滞在者向けホテルみたいなイメージですな。
意外と物件が無く、しかも家族4人が住むある程度の広さ、となると、選択肢が無く必然的に
部屋は決まった。殆どホテルと同じだから設備は充実している。Play roomも大きく色んな
遊戯施設が中にあるので子供は大喜び。
湾仔のGrand Hyatt隣に接するConvention Plaza Apartmentは
会社に歩いて15分。バス代、タクシー代が浮き健康には良いのだ。
でも茉莉ちゃんの幼稚園からは遠くなり、何と送迎バスは7時40分。
朝の入浴は中々難しいのである。

部屋は38階、海の反対側向きなのでCity View。
我が家より一寸高いビルの屋上でPhilipsの電光掲示板が夜、煌々と青い光を放ち、睡眠妨害じゃ。
12時迄つける電気代、さぞかし大変だろう。
中国では電力不足で工場は週2日の停電を余儀なくされている昨今、有る所には有るのね、と
件の工場長は思うことであろう。


5月9日 タイキ君の誕生party

子供関係のお付き合いも色々大変と書いたが、前回茉莉の誕生partyにご招待した
魚住家から、長男タイキ君の誕生会にご招待された。
場所はHappy Valleryを見下ろす優雅な場所にあるお住まい。
このお住まい、我々が住んでいるような40階建ての高層アパートとは違い、5階建て程の
贅沢な作り。世帯数少ないのにちゃんとガードマンが居り、屋上は住人に解放されている。
その内の一角が各家庭に振り分けられており、野菜を作るもよし、盆栽育てるも良し、で
まぁ優雅なんである。

この共通スペースに、空気で膨らませるプールを作り、子供達が遊ぶ。
羨ましい。以前、八木家のお庭のプールで遊んだことがあったが、こちらの
プールは更に巨大で滑り台つき。
屋上で見晴らしの良い景色を見ながら、ビールを飲みつつ子供と戯れる。
香港辺りの金持ちはこういう生活をしているんだね。

さてお宅に客をお呼びするのは準備が大変だ。
奥様が御懐妊中、しかも予定日が1週間後と大変な時期だ。
実家から駆けつけてくれている母上が腕によりをかけて作った散らし寿司、桜でんぶの
味が懐かしい。その他出されている料理の数々「ちゃんと料理を撮影しておいてよ、今度
我が家に皆さんを招待する時出す料理の参考にするんだから。」
晴子はその品と味を(自分の手を汚さずに父を使って)ちゃっかり盗むのでった。
奥様も大変だ。


4月30日 Birthday Party in Funful幼稚園

又もや茉莉の誕生会ですか、次は幼稚園。
月に一度、当月生まれの園児の誕生会をしているらしいんですな。
で、該当園児の親御さんは前日にリクエストされたお菓子を用意せねば
ならないらしく、我が家の場合はキャンディを60個、晴子が用意したのだそうです。
父は知りませんでした。

誕生会には父兄は参加できませんので、その日の朝、幼稚園に歩いて送り届けた父が
ジャクリーヌ先生に「これで撮影してくださひ。プリーズ。」とお願いしたもの。
故にどんな風だったか判らない。
写っている数々の写真を見るに付け、ケーキ食べて唄って、まぁそんなもんでしょう。
因みに写真で茉莉を後ろから首を羽交い絞めしている女の子はサラといって、
アメリカ系の子供らしく茉莉よりもずっと身体が大きく、何時も茉莉の事を苛めているんだそうな。
家に帰ってきて「サラに苛められたの。学校に行きたくない。」さめざめと泣いているので
どんな子だろうと思ってたのだが、成るほど気が強そうだ。
子供の世界にも色々あるんだね。頑張れ茉莉坊!


4月17日 茉莉 Birthday Party in Deep Water Bay(深水湾)

香港人は子供を非常に大事にします。
子供の誕生日には、皆を集めてBirthday partyを開催する。
或る者は会員制クラブのパーティー・ルーム。レストラン等々。
場を盛り上げるためにピエロを呼んで手品ショーをしたり、と。
子供付き合いで呼ばれることも時々有りましたが何時も「これは準備大変だろうなぁ。」と晴子と
話してたものでした。
まさか、今年晴子が「我が家も茉莉のバースデー・パーティーをしましょう。」と言い出すとは
夢にも思いませんでしたわ。
曰く「今年はEaster Holidayにも何処にも旅行へ行かなかった。それは全てこの為。
   Birthday Partyにお金掛かるし。」と・・・勝手に理由付けるな!
「まぁ、香港の思い出にもなるし・・・」と何やら訳のわからない理由ながら、晴子が
全て段取りすので、任せる事とした。
先ず、場所選びから始めねばならない。
招待人数は一般的には凡そ20名くらいか。
今まで招かれた会場からすると、そこそこ高級感溢れるところを手配するのが香港の常識らしい。
当初は、父がmemberであるDiscovery Bay Golf ClubのClub house辺りが景色も綺麗で
香港の日常性から離れる場所なので良いのでは?と考えたのだが(memberだから安く付くし)
如何せん香港島よりFerryで30分要し、更に港からClub House迄行くのにClub Busに乗らねば
ならないという面倒くさいアレンジになるので、色々検討した結果、香港島裏側Repulse Bay近くに
ある香港ゴルフクラブのClub Houseにて行うことにした。父の会社で何枚かmembershipを持って
いるので、その内の一人嶺のGod Fatherでもある鶴岡部長にお願いした。
緑多い環境下、交通の便も良い。
当日は天気も良く、茉莉が先週このPartyの為にStanleyで新調したDressも眩しい。
(お値段HK$200.-弱」だけど・・・。)



クラブハウスの前で。茉莉の横にはBirthday partyを示すWelcome Boadが。
左後ろに万国旗が飾られている部屋が会場である。

さて、ピエロを雇う金も無い石村家、「そんな金使わんでも俺がピエロの役をやってやる!」と
豪語し、よく中国のお祭りで被っている大きな中国人の顔の張りぼてを探したのだが、生憎
何処にも見つからない。(日本なら「大中」辺りで売ってるんだが)
已む無し父は素顔のまま参加する事とした。

基より招待客は晴子が選んだ家族。殆どが父は知らない。
Partyのホスト(ホステス?)は晴子で、父は所在無さげにうろうろするだけである。情け無い。
何せ、椅子が20席しかなく子供が20人近く来ているので、その親御さん達は、特にいお父さんは
これまた所在無さげに壁の花。父と共に「いやぁ、大変そうですね。」「実は全て妻が手配してまして・・・。」
「うちも今度やるって言ってんですよ。」「それはご愁傷様です。」という様な会話が為されているであった。

で、partyのmain eventは晴子が夜なべして作った手作り魚の「魚釣りゲーム」である。
当初、割り箸の先に付けた磁石で魚を釣るという仕掛けを作っていたものの、強力な磁石が無かったのか、
はたまた魚の中に入っているお菓子がが重かったのか、上手く吊り上げることが出来ないという実験結果を
踏まえ、クリップを折り曲げて作った手作り釣り針に変更、本番は子供達大喜びの結果となった。
苦労して準備した幾晩もの事を思い出し晴子の目に涙が。(嘘)
ま、お疲れ様でしたな。褒めて遣わす。



香港ゴルフクラブ、こういう手配には慣れているのか、Birthday Cake迄準備してくれている。
無論名前入りである。
招待客の視線を一身に受け、お決まりのHappy Birthdvay to Youを合唱してもらい、茉莉ちゃん
最高のときである。三本の蝋燭の日も無事消すことが出来ました。


当日、招待客の皆さんより茉莉ちゃんに誕生日プレゼントを頂いた。
余り一度に開けちゃうと一つ一つの有り難味が薄れてしまうので、少しづつ時間差を置いて
開かせて頂いている。「これは誰それに頂いたものよ。」と。
父の少年時代思い起こしても、親以外に誕生日にプレゼント貰った思い出って余り無い。
ナメ猫の写真が印刷されたマグカップとか。(とほほ・・・)
良いなぁ、茉莉ちゃん。

Partyは2時間ほどで終了、皆さんにはお土産袋をお渡しするのが通例。
湾仔のおもちゃ屋さん、Stanleyのストリート、銅鑼湾のお店を歩き回って、値段安く
見た目はVolumeあるガラクタ・グッズを詰め合わせた福袋もどきを配ってやれやれ御仕舞。
参考までに全てに所要した費用、マンダリン・ホテルで3泊分位だったろうか。
(注:晴子の夜なべ費用含まず。)
香港で人並みに人付き合いするのは結構お金掛かるんである。


4月11日 茉莉Birthday in Stanley教会

4月11日に3歳になった茉莉。折りしもその日はEeaster Holidayに当たり
復活を祈るPartyがStanleyの教会で開かれた。余り熱心に活動に参加していない石村家も
クリスマスとイースターの年2回位は参加しなきゃ、といそいそと出かけるのであった。
何時も行っているHappy valleyの教会と違い、Stanleyのそれは高級住宅街の只中に有るせいか、
ちょいと、いやかなりハイソな感じである。ゆったりとして建物、センス良く仕立ての良い調度品。
各国のキリスト教に因んだ彫刻品が並び、裏庭からは綺麗な海の風景が広がる。
中国人のこだわる風水の観点からしてもこりゃ、相当良いLocationだ。

復活祭という事で、牧師さんの説教も長い。1歳の嶺にそれが我慢出来る訳も無く、信者でもない
父は1階のロビーで彼の相手をしつつミサが終わるのを待つのだ。
  ↓


ミサが終わると次は懇親会と、お約束の卵探しである。
懇親会は各家庭より一品づつ持ち寄った手作り料理。因みに晴子が作ったのは、
鳥肉のトマトソース風味。皆の評判がどうか心配されたが、無事売れ残りとして
無様な姿を晒すことは無かった。良かった。

ゆで卵も各人が綺麗な包装紙等でWrappingして、それを係りの少年達が教会の裏庭に
隠すのだ。これを茉莉達ちびっ子連中がよ〜い、どんで探す。ふむ、楽しそう。
茉莉は中々見つけられないだろう、と小学校高学年位の女の子が付き添いしてくれ、
一緒に探してくれる。茉莉はルールが良く判らないのだろう、自分で見つけることは未だ
出来ない様。然し少女が見つける度にくれる綺麗な包装に包まれた卵をもらうと大喜びしている。

茉莉、卵が大好きなのである。
父が小腹空いた時にラーメン作って食べてると必ず駆け寄って来て「パパ、卵頂戴。」と
おねだりして来る。コレステロール高いんだぞ、卵は。
因みに卵と同じくらい好きなのはハムである。
それで、皆の記念撮影中にとことこ前にでしゃばり写っている嶺の好きなものは未だに母の母乳。
そろそろ乳離れしても良いのでは?と晴子に言うが、「母乳与えるのってダイエットにも良いのよ。」ですと。
はて、世間の皆様は何時頃乳離れをさせているのでしょう?


茉莉、今日が自分の誕生日だったことはしっかり認識している模様。
何故なら今通っているPre-Schoolで毎月誕生日の子の為にHappy Birthdayの唄を歌いながら
partyをしているから。
帰宅して茉莉は言った。「今日の茉莉ちゃんのBirthday Party楽しかったねぇ。」
どうやらEaster Holiday partyは自分の誕生日partyで、その為にあんなに多くの人たちが集まって
くれたのだと勘違いしていたらしい。幸せだね、茉莉ちゃん。
(でも、ちゃんと翌週茉莉ちゃんの為に正真正銘のBirthday partyが予定されているのだよ。それは又今度。)


又もやシンセン with 矢ケ崎家

晴子がシンセン買い物ツアーに嵌っているのは既に書いたが、今や友人達を引き連れて
月に1〜2度は仕立ててくるのである。幸いというか、不幸にしてというか父は最近シンセン
方面への出張が増えている為、仕立て発注済の紙を渡され引き取りに使われることも多々。
時にはお金も払っといて、と調子に乗ってきているので困ったもんだ。
とは言え、普通人民元を持ってても使う機会無いし、(最近香港でも使えるところ多くなってきた
けど1人民元=HK$0.94と決してrateは良く無いのである。)他方父は何時も人民元を良く使う機会
有るので合理的といえば合理的なのだが、釈然としない。
まぁ、良い毎月のお小遣い銀行振り込みから差し引いとくだけだ。(今明かされる事実。我が家は
父が財布を握っているのだ。で、余った虎の子の給料を財テクに・・・・。)

最近、面白そうなので父も仕立てて見た。香港の古本屋「写楽堂」で仕入れた''Mens Ex''とかいう
背広姿の貴乃花親方が表紙を飾っているファッション雑誌を仕入れ、中からAquasputamのHalf Coat
を選び、シンセンまでその雑誌を持参した。今回は晴子の好朋友ナナちん+ご主人、つまり矢ケ崎家も
引き連れての訪中である。因みに矢ケ崎家はシンセン・ツアー初めて。ご主人の矢ケ崎氏、前日の
バスケットの試合で疲労困憊、腰も痛いのにナナちんに無理矢理引っ張られて疲労困憊。
因みに父も、前日22時から行われたバスケット、アマチュアリーグの試合で今度は右足の太腿を
肉離れしてこちらもボロボロである。「やめようよ。」と晴子に訴えるが、行く気満々の晴子聞く耳を
持たず・・・・。肉離れってきちんと治さないと癖になるんだよ。

さて、ぶちぶち文句言いながらもシンセン羅湖商業城に到着すると元気が出てくる。
先ず飲茶をしてからハイジ(店員の女の子の名前。見るからにあのアニメのハイジという風体。
きっとあの漫画のファンなんだろう。ジャパニーズ・アニメって偉大だなぁ。中国の片田舎で育った
女の子でも知っているなんて。)のお店に向かう。
晴子手馴れたもんで、古本屋で仕入れた雑誌の切抜きを次々と取り出し、説明する。
今回は茉莉の服も作る。果たしてスタンレーで売られているあのアウトレットの安い服と、シンセンで
作る服、どっちが安いんだろう?スタンレーの既製服アウト品の方が安い気がするが・・・。

ナナちんは、自分のお気に入りの服を持参。これと同じサイズ・形で作って欲しい、と。

父は件の雑誌を見せ「作れるかい?」と確認、店の親父判った様な判らんような、非常に頼り無さげに
首を縦に振る。多分、中国でも首を縦に振るという事はYesという意味なんだろう。
矢ケ崎氏は今回作らない。「石村さん作ったら出来を見せてよ。それで考えるわ。」

大まかな意図が確認出来たらハイジを引き連れ生地を購入だ。5階のほぼ半分を占める面積が
小さな生地屋の集まり。ここで各人、目ぼしい生地を選んだらハイジに相談し必要な長さを確認して
値切ってもらう。
父は本当は皮のコートを作りたかったのだが、仕立て代だけで1,000元以上すると言われたので
(それなら大阪でも吊るしの皮コート見つけれるんちゃうか、と。)人工皮革を選ぶ。一寸クラリーノに
似た風合いだが無論クラレ製では無い、だろう。
購入の意思無い矢ケ崎氏、必然というか何と言うか茉莉の遊び相手に。申し訳無かこってす。

各人採寸して発注し終えたら、次はお茶屋さんに向かう。
父は最近、東莞にある台湾系客先工場に訪問した際、出てきた人参烏龍茶の甘みある美味しさに
惚れてしまいそれを探していたのである。お茶屋さんでは色々なお茶をtastingさせてくれ、その中で
気に入ったものを買う仕組みなのである。大人4人、次から次へと「あれ飲ませて」「これ試して見たい」
と試していく。茉莉&嶺は既に疲れて寝入っている。


晴子達がお茶を試飲している間、寝姿をショーウインドーに曝け出す茉莉。


結局3種類、計5袋位購入しただろうか?
これらのお茶は折角購入したのに晴子がコーヒー党で入れてくれないので多分日本に(一時)帰国する際の
お土産になるんでしょう。

さて、後日父はシンセンのお客さんに寄った折、ハイジのお店に服を引き取りに行った。
早速試着、羽織って見るが一寸きつい。
ハイジ「あ、背広の上から着るつもりだったの?」
父「ハーフ・コートって普通そうでしょ?」
しかし、慣習の違う中国人にきちんと説明をしなかった父が悪い。これは普段着にしよう、と諦める。
ボタンを掛けよとするが・・・・・ボタン穴が空いていない。
父「ボタン穴が空いてないんだけど・・・・。」
ハイジ「あれ、そう?ごめんごめん。」
徐にハイジ、ラシャ切り鋏でボタン穴を空ける。ステッチでボタン穴の周り刺繍はしてるから良いんだけど。

気を取り直して再度試着する・・・が、
父「ボタンが大き過ぎて、ボタン穴に入らないんだけど・・・。」
ハイジ「あれ、そう?御免御免。ボタン取り替えるわ。」
父「良いよ、かみさんに頼んで付け直すから。」
ハイジ「あら、そう。御免ね」

生地を売っている辺りにリボンやボタンを売っているところが有るのでそこで探す。
全く同じデザインで大きさが若干違うボタンを見つけた。ああ、彼らもここで買ったんだな。6つで10元。

結局、晴子にボタンつけ治してもらい完成したのだが、このハーフ・コートの評判がすごぶる良いのである。
モデルが良いのかもしれないけど。
締めて330元+10元(ボタン代)で中々の出来栄えだ。
気をよくした父は引き続き
1.映画 マトリックスの役者が着てるような長い長いロング・コート。折角だからマトリックスそっくりに
      黒色にしようとしたら晴子の却下に会い、野ねずみ色に・・・。
2.伸縮性の有る生地で英国風ブルゾン(Men's EXのモデル写真切り抜き)
を製作。こちらもほぼバッチシの出来。
2番のブルゾンに至っては、両ポケットが銅製の剥き出しファスナーで開け締め機能付きという
これまた現代日本人のセンスでは思いつかない様なアクセントが付けられて、一目見たときは
衝撃を受けたものだが、着てみるとそんなに目立たない様だ、多分。

オーダー・メイドというのは何度か失敗をこなし、お互いのセンスというか認識を一つ一つ確認しながら
やっていかねばならんのだな、と学んだのであった。


BBQ in 陽明山荘

陽明山荘という所は高級住宅地。一寸不便な所に有るのだが、香港島の嶺に程近い高さに有るので
高度は凄い。多分見晴らしも良い・・・んじゃないかと思う。
父は昨年の100キロ・トレール参加に先立ち練習していた時、ここに近い所から出発する
Wilson Trailをよく歩いたものだ。ここからStanleyに向かうコースは途中に1000段近い階段が延々続く
箇所があり、良い訓練になるのである。
高級団地で有る為、所謂上級階級の人たちも多く住むらしい。
某都銀の支店長夫人が、SARS流行した折、「わたし(陽明山という高いところに住む人間なので)
下界の事は知りませんのよ」との賜り顰蹙を買ったという逸話有り。あな、恐ろしや狭い日本人社会。
ここに晴子の友達が住んでおり(子供の通うコロボックル関係かな?)この住宅の持つBBQ場へ
案内を受けた。香港でのレクリエーションって意外と少なく、ハイキングとかバーベキューが定番なので
ある。日本ほど選択肢無いんですな。自家用車持つのも結構きついし(家計的に)。
で、陽明山荘BBQ場、流石に山のてっ辺にあるだけにBBQ場も自然に囲まれて雰囲気たっぷりだ。
住宅地にスーパーマーケットのWelcomeが有り、そこで食材を買い込み、商品を積んだカートをそのまま
押してBBQ場に向かう、と言っても女子供の足で15分位。結構な下りの坂道なので、慎重に押して
行かねばならない。
BBQ上に着くと、今回お誘い頂いた国田氏、その友人魚住氏が既に火を起こしている。因みに1時間前から
取り掛かっていたらしいのだが未だ着火ならず。そこへ到着、美香&Lincoln family + 我が家。
父は昔から実家ではお風呂を薪で沸かす役目だったので、こういうの得意なのだ、としたり顔で
取り掛かるのだが、炭には中々火がつかない。団扇も無く、乾いた小枝も無く苦戦だ。
結局損後1時間位掛かって漸く火が付きました。舐めたらあきませんな、BBQ.

狂牛病が騒がれている牛肉、インフルエンザが恐れられている鶏肉、じゃぁ、一体BBQでは何を食べたら良いの?
因みに晴子が仕込んで持参したタンドーリ・チキンは結構好評であった。


旧正月の花火をMandalin Oriental Hotelで愛でる。

旧正月は旅行に行かなかった。サーカスは見に行ったけど。
それでは腹の虫が収まらん、と「ねぇ、パパ〜ン。マンダリンに泊まろうよぉ。」
晴子は毎日、父の耳元で囁き続けた。
マンダリン・オリエンタル、今は無きレスリー・チャンがこよなく愛し飛び降り自殺したホテル。
五ツ星ホテルにて筆者の友人(J'sとは別のバスケット・チーム=EODで相棒)が勤める。
同ホテルの宿泊は欧米系の客が多いらしく、彼は日本人の宿泊客比率を高めたい、という意向もあり
父には良く客を紹介してくれ、と相談があった。実際、紹介した客の評判はすごぶる良い。
部屋の中も見せてもらったが調度品等のセンス等が他の高級ホテルとは一寸違う。

香港島のホテルでは唯一バルコニーを備えているということも有り花火の見晴らしは抜群、の筈。
という事で当日朝、父は妻にせがまれて彼に電話をしたのである。
「あのさ、今晩なんだけど部屋一つ確保出来るかなぁ?旧正月だから一杯だとは思うけど・・。」
「ガラガラですよ。良い所準備させて頂きますよ。」(旧正月なのに働いて、サービス業って大変だなぁ。)
欧米系金融関係のお客さんが多いから祝日中は余り埋まってなかったんですな。
先ずは彼の売り上げ増に我が家も一寸だけ貢献だ。

さて、昼3:30頃、タクシーにて乗り付ける。といっても家から5分。標高にいたっては我が家より
100メートルは低かろうか?合理的に物を考える男としては馬鹿らしい様な気も。
チェック・インを済ましたら、有名なアフタヌーン・ティーへ。
一杯である・・・・。5分ほど待たされた後、中ほどのソファーへ。
金持ちそうな家族連れが優雅に茶を飲んでいる。
5メートルほど離れた所に、日本人らしき母と息子の二人連れ。父の姿は無い。
「これっ!もっと行儀良く食べなさい!じっとして!」叱る口調には品が無くしかも大きい。
身形も何かみすぼらしい普段着。何か一寸悲しい・・・。
「彼らも折角の旧正月、何所も行けず、それで父さんは出張に出かけてんだよ。それで
お母ちゃんは、マンダリンで花火見ようってきてんのやろな。」と晴子と勝手に想像する。
友人曰く、我が家の様に花火を見るために宿泊する日本人家族は多いんだそうな。

有名なアフタヌーン・ティーとやら、晴子は友人と時折楽しんでいるらしいが父にとっては初めての経験。
どきどきはしないが、さてどんな物が出てくるのか、楽しみに待つと小ちゃなシュークリームやらクッキーやら、
中国菓子が色々乗せられた籠の様な食器が運ばれてきた。成るほど、これらのお菓子代が入ってるんで
こんなに馬鹿高いんですな。(HK$200.-辺りだった様な。)
紅茶とコーヒーを飲みながら一時間余りゆっくりした所で時刻が既に6時近いことに気付いた。
「早く晩御飯食べにいかなくちゃ。8時からの花火に間に合わなくなっちゃう。」
アフタヌーンティーの直ぐ後なので余りお腹は空いてない、だけど花火が終わってでは
子供達のお夜食に遅すぎる、という事で近くで軽く食べましょう、と慌てて出かける。
当日は生憎の天気。気温は低く小雨もぱらついている。
しかし、街では花火鑑賞のための席取り合戦が早くも始まっている。海の方向が見える
歩道橋等には既に人ごみが出来ているのであった。この寒い中ご苦労様だ。等と、呑気に構えて
歩いているうちにも時間は刻々と過ぎており、気付けば花火開始1時間前の7時。
父はやむなく決断をした。「あそこなら早く出てくるよ。」「あれって・・・・。」
そう、日本では既にメニューから牛丼が消えてしまった吉野家であった。
香港では相変わらず大繁盛。因みに晴子は香港に来るまで吉野家に入った事なかったそうな。
良かったね、念願叶って。
さて、店の中は満席、何所にも空席は無く、又空きそうな気配も無い。
皆、外は寒いから花火が始まる時間までなるべく粘ろう、という魂胆である。
「吉野家はね、Take outも出来るんだよ。ホテルに持って帰って食べようか?」
「マンダリンのロビーを吉野家の袋ぶら下げて部屋に行くの?私、恥ずかしい。」
それもその通りだが、でも時間も無いので勝手にオーダーする。
セットで一つ25ドル。(400円弱)日本より若干高いか。因みにお肉は中国製らしい。

当日、幸い父は丈の長いコートを着ていたので、ホテルに入るときはそのコートにくるんで
こそこそ、と部屋に戻ったのである。
晴子「明日、ベッドメイキングの時に吉野家の牛丼食べてるお客さんが居たのよ。」って
    スタッフの間で言われるのかな?」
父「顔を合わしやせんから気にせんで良い。」
と、話してると電話が。晴子の好朋友ナナちんであった。
ナナちん「7時半だけどもう部屋に行って良い?ロビーに着いたんだけど。」

折角贅沢してマンダリンで愛でる花火、誰か友人に見せびらかしてやりたい、という
妻の虚栄心が丁度主人の矢ケ崎氏が出張で留守にしているナナちんを誘ったのであった。
ナナちん「こんばんは、お邪魔しま〜す。あれ、何か良い匂い。」
父「はい、今香港の夜景を見ながらルーム・サービスを食べようとしている所だったんだ。」
晴子「吉牛(吉野家の牛丼、略してよしぎゅう)だけど・・・・。(笑)」

こそこそ、と吉牛を食べた後は、ナナちん差し入れのスパークリング・ワインを開け
漸く一寸ゴージャスな雰囲気に。
20時、花火も開始。音が凄い。迫力あるが茉莉は一寸ビビッテしまった。
アングル、最高!美技前方の建物が邪魔して見えないか、と心配してたが丸見えだ。
暫く経つと煙でよく見えなくなるものだが、近いお陰か終始良く見える。
こりゃ綺麗、と晴子もナナちんも大満足。茉莉と嶺は・・・・・・何か判ってないみたい。

話は変わって翌日、豪華な朝ごはん、勿論セット料金込み。
これでケーキショップの商品券も付けてもらってHK$1,400.-は、宿泊代だけのこと考えるとプチ旅行としては
結構お徳である。香港在住の皆様には是非一度花火の日にトライする事をお勧めしたい。
そん時は父の友人、楠井氏(Sales MGR)に相談して下さい。良くしてくれると思いますよ。

  ↑
花火を写すというのは難しいなぁ。

サーカスは楽し!

1月22日からの旧正月。4連休である。
香港とて冬は寒い。旧正月の頃は年間で一番寒い頃。香港人は短い冬を過ごすのに
年に数日間しか着る事の無い冬物コートを嬉々として羽織るのである。
さて、土日を入れると4連休。此れまでなら、いそいそと海外旅行など組み込んで
香港脱出を図っていた所。例年の如く、晴子は「ねぇ、バンコクでも行こうよぉ。もう最後の
チャンスかも知れないよ。」なぞと、毎日睡眠学習さながら枕元で囁かれ続けたのだが
幼子を二人抱えた石村家にそんな贅沢をする余裕なぞ無い!と言下に否定して、父は
聞こえない振りを押し通して、目出度く旧正月に相成ったのである。

さりとて何処にも行かず4日間家に閉じこもるのも悲しい、ましてや日曜から父は東京へ
出張じゃないか、とばかりに、晴子は無理矢理イベントを押し込むのでった。
で、買ってきたチケットが「モスクワ・サーカス」
ホンハムの空き地にテントを設営し、毎日サーカスを公演しているんだそうな。
全くどこでそんな情報仕入れているのやら。どうせThe香港(web site)の掲示板だろうけど。

サーカスを見るのは久し振り。昨年秋に松任谷由美の香港公演(シャングリ・ラU?)で
サルチルバンコ(?)とかいう風な名前のサーカスがコンサートに組み込まれているのを
見て以来。それより遡ると・・・・・・・あ、生では見たこと無いや。
で、嶺は良しとして、3歳にも満たぬ茉莉の分まで大人料金(確かHK$250 = \3,750/人)を
払いHK$750.-支払って見たサーカスや如何に?
これが結構面白いんですな。
流石回数こなしているだけあって、芸も色々工夫されている。
単に象や虎が出てくるだけでは無いんですな。



当然。空中ブランコもあるし、ヨガの達人みたいな若者が身体をあんな風にもこんな風にも
くちゃくちゃ折り畳んだり、お色気たっぷりのロシアン・ダンスガールズ(8人)が芸人が入れ替わる合間度に
これまた色っぽい衣装で踊ったり、はたまた力持ちのモンゴル人がコンクリートが詰まったような重い
やかんを使って剣玉みたいな芸をしたり、人が30人くらいのったトラックを首の力だけで支えて
引っ張り動かしたり、と2時間ほどの時間を飽きさせることなく楽しませてくるのであった。

サーカスを見てふと彼らの生い立ちを思いやった。よく物語なぞで読む旅芸人の暮らし。
小ちゃな茉莉より若干大きくした様な愛らしいお嬢ちゃんが曲芸をするお母さんと一緒に
舞台に上がり、お辞儀をしているのである。彼女は一生旅芸人の生涯から逃れられないのかなぁ、と。

天井から吊るされた紐に足を巻きつけ二人の小さな女性はくるくる回るのである。
まるでコマの様。よく目が回らないものだ。お父さんなら車酔いしちゃうかも。



何れにせよ、サーカスは結構楽しいものだ。見てる分には。
果たして2歳9ヶ月の茉莉にあれらの曲芸はどういう風に映ったのだろう。
すこしは記憶に残っただろうか?(三つ子の魂百までも、とは言いますが)
せめて写真を綺麗にとっておけば後年、香港でサーカス見に行ったね、と思い出話も
出来るのだろうが、下手に写真写してフラッシュ光ったら、くるくる回っている女性が
びっくりして落っこちちゃったら大変、とストロボ無しで撮影してた為、全般的に画像悪し。
因みに、周りの香港人はストロボたいて写真は撮影するわ、ビデオカメラで撮影するわ、
でやり放題でした。遠慮している我々が阿呆みたい。


藤田家&茉莉・嶺、シンセン・デビュー!

シンセンが熱い。2003年9月、日本人に対する中国ビザ取得は免除された。
此れ迄半年の複数回ビザを取得するのに6,000円くらい要していた為、晴子は
中国に行くことは無かった。否、正確に言うと新婚時、旧正月を利用して三狭川下りのツアーに
参加した折、中国田舎の扉無し便所にショックを受けて出そうだったものも引っ込んで以来、
折角中国に住んで居ながら、晴子は中国に敢えて向かおうとはしなかったのである。
筆者は、独身時代結婚したら妻と供に昆明や、モンゴルの草原、チベットの寺院巡り等しようと
思っていたのだが、「あ、私旅行は中国駄目。アジアのリゾートお願い。」と、拒否され続けていたのである。
貴様、それでも駐在員夫人か?プンプン!

と・こ・ろ・が、9月よりビザが要らなくなった事、当時筆者がバスケットで肉離れをしていた事より
シンセンに案内した事を皮切りに、今やしょっちゅうシンセンに向かう様になるとは、お釈迦様さえ
思いつかなかっただろうさ。

(西暦の)年明けのお休みに芦屋から両親がやってきた。
御来港も数度目になるので、今回はシンセンに案内した。と、言っても羅湖商業城の中だけなんだけど。
子供が誘拐されたという話が山ほど有るシンセン、茉莉と嶺には犬みたいに紐を括って、勝手に親から
離れない様対策も行った。その姿を見て、歩く中国人は指差し笑っているのだが、誘拐されるよりましだ。
気にはしない。
飲茶食べて、髪留めや翡翠のアクセサリーを冷やかし、幾許かの買い物をして3時間の小旅行は
無事終了したのであった。


嶺の紐は未だ子供専用という感じで見栄えは良いのだが、茉莉はありきたりのビニール紐で
括っていたので、見るからに貧乏臭い。可哀想である。

全く次から次へと色々病気が出るもんだ。
SARSの次は鳥インフルエンザである。これも昨年末より中国では流行していたらしいというから
本当に中国の言うことはあてにならん!
さて、シンセンからの帰途、義父のリクエストもあり旺角(Mongkok)にあるBird Streetに立ち寄った。
庭の無いアパートにぎゅうぎゅう詰めでの生活を余儀なくされている香港人。
中々犬も買うこと出来ないが、小鳥なら飼えるよ、という事かどうか知らないが、そこには
自慢の小鳥をみせびらかしにおっちゃんたちが鳥かごを持ち寄り飾ったり、又、そこには
色々な小鳥も販売しているのである。
あの頃は未だ鳥インフルエンザの流行が騒がれては居なかった。だからこそ、写真の様に
生きた鳥にも触っているのだが、茉莉ちゃんは大喜びである。(因みに嶺はグースカ寝ていた。)
茉莉、インコに接近遭遇で目を輝かす、の図。
さて、あのBird Street今頃どうなっているのだろうか?


彼は男だった。厦門系の香港人。
合成樹脂のDealerとして12年前に独立、小さい規模ながらも積極的な営業でどんどん規模を拡大、
筆者の会社からは数百トンの樹脂を毎月購入していた。
しかし同業者との居層が厳しくなり利益率はどんどん、低下。元来cash flowの潤沢で無い会社は
やがて日本円で7,000万円程の支払いが滞ってしまう。
折りしもアジア通貨危機の悪影響がそこここで噴出していた頃、邦銀が真っ先に貸し剥がしを徹底的に
行い、批判を浴びていた頃である。リスク管理に厳しい我が社も取立てを厳しくした。
しかし無い袖は振れない、かと言って殺してしまっては、全額損失になってしまう。
活かさず殺さず何とか回収を試みていたのである。

斯様な案件を両手に余るほど抱えていた筆者は、この案件を抱える別の担当者を隣から見ていたものの
彼は頑張った。通常、こういう状態に陥った香港人が取る方法は
1.とんずらする。
2.会社を意図的に倒産させて、直ぐに新会社を立ち上げ、そこで商売を行う。
  こんな事が香港では許されるんですな、信じられん事に。借金踏み倒した人間が経営する
  会社に物を売る奴が居るんです。敗者復活戦敗者復活戦、何度でも有り、と。
なんですが、彼は「俺は払うといったらちゃんと払う。」と啖呵を切り、3年程掛けて全額返済しました。
取立て担当者もその間代わりましたが、払う方も払ったり、回収する方も良くぞ回収したり、です。

現在この会社の担当は筆者になったのですが、親父さん、事有るごとに
「もうそろそろ、俺んとこに与信(つまり手形払いみたいなもんですね)売りしてくれ。」頼むのです。
曰く「俺はちゃんと借金踏み倒さずに金利も付けて払っただろ?信頼に応えただろ?これをもってしても
   俺が信用出来んのか?」と。
全くその通り、と父は思うのだが、父の勤める会社の考え方は違うんですね。
つまり過去に支払い遅延を起こした会社は前科者、言わばブラックリストに載った彼に与信は出来ぬ、と。
幾度と無く、管理部門・上司とも議論しましたが、人を信用して商売するという概念は、論理だった根拠を
示せない為、中々日系企業の中で説得力を持たせることが出来ません。
華僑達が事業を始める際に、同郷の先輩方との面談を受け、その人間と才を信用して
何千万円、何億円融資するという概念とは余りに違いすぎるのです。
資金調達の金額に違いはあるのかも知れませんが、少なくともスピード感、有意義な投資、という観点では
中華方式の方が向いている様な気がします。

話は戻って件の社長の件、時々酒を共にするのですが、家族ぐるみの食事も非常に好みます。
飲茶等よくご馳走になるので、次回はうちが日本食をご馳走するよ、と約束。
銅鑼湾に有る沖縄料理屋に招待しました。普通の和食は好きでよく食べているらしいのですが
沖縄料理は初めてだった様。
同家には15才のKillyと4歳のJosephine。我が家の様に2歳半、と1歳一寸の子供が可愛くて仕方ない
らしく、お嬢さんたちは色々と節介を焼いてくれます。
Josephineは木村佳乃に一寸似た美人顔で、皆に「可愛い、可愛い」と言われ慣れてしまっている様で
周りの人が小さい茉莉の方を「まぁ、可愛らしい」(そりゃ、サイズが小さい方が可愛いわな。)と
持て囃していると機嫌が悪くなっちゃいます。相当気が強い。こりゃ、将来BF大変だ。



ジェームス・ディーンの映画は見たことがある。「理由無き反抗」。
大学時代にレンタルビデオで。かっちょええ〜。父は赤色のスウィングトップとジーンズを
合わせるのが当時一番お気に入り格好であった。
マリリン・モンローの映画は見たことが無い。ポスターだけである。
伝記は読んだことがある、漫画でだけど。
最近、読んでた雑誌でモンローのセミヌード写真が載ってた。
唸った。格好良いのである。興味が出てきた。日本に帰国したら彼女が出ている映画を
探して見よう。(ここで疑問、彼女が出ている映画ってあったのかな?そもそも)

年末、Discovery Bay Golf Clubに行った。毎月1万数千円のMembers feeを払っていながら
全然Playに使用していないGolf clubである。妻に言う。「1万円のランチだから、心して食せよ。」
で、食べているのは何のことは無い、韓国辛ラーメンである。スーパーで買えば70円くらいか。とほほ。

雰囲気が良いので、晴子はよく知人を誘って食事に行く。
この年末も、彼女の大学時代の同窓生(香港在住)を誘って家族ぐるみで行った。
「香港にもこんな静かな所あるんですね。」喜んでくれるので、まぁ、会費一月分位は回収したかな?

茉莉と丁度同じくらいの息子さんも来ていた。名前は忘れた。
二人して仲良く芝生に座ってもじもじしている。嗚呼青春。

年末というのに、ほんわり温かい。風邪予防で履かせた白タイツ、熱いのかな?
茉莉の悩殺モンロー・ポーズに少年は思わず手拍子しながら言った。
「ラッキー!パン!(手拍子)ツー(Vサイン)・丸(OKサイン)見え(片手を腰に、もう片手は目の上にかざす)」
あちゃ〜。




晴子の叔父に当たる島夫妻が香港に来られた。
日頃中国には出張の機会はあるものの、香港に来たのは20数年前という事で
それまで持っていたイメージとは大分違って「都会だなぁ。」というものだったそうな。
中国華北地方に行く機会が多い同氏、あちらと一緒のイメージで思われたら、香港人怒りますぜ。
宿泊は最近、石村家一押しのマンダリン オリエンタル。
父の友人が働いていて、色々と便宜を図ってくれるのだ。
五つ星の同ホテル、此れまでお客さんを迎えにいった事は有れど、部屋には入ったこと無かったのだが、
それも初めて叶いました。
ヨーロピアン調の部屋は絵や家具がセンス良く配され、全く感心する事しきり。

一日は、深水渉(シャムスイポ)でのビーズ・ショッピングで叔母&晴子は興奮。
日本で買うと数倍の値段になるんだそうな。何軒も店を回ってお父さんは疲れたよ。
ビーズ自体は父、丸きり興味ないので近くの露店で茉莉に赤地に金色の糸で刺繍を
施した中国風半纏を購入する。
未だ着用している所を見ていない。40ドルもしたのに・・・。(晴子の陰謀)
乾物屋があったので、干し鮑を観察する。香港に6年以上住んでいながら
干し鮑を食べたことが無い。お店できちんと干しあわびを戻して煮込んで作ったステーキを
頼むと一人2−3千ドル〔3万〜4万5千円)もするんだそうな、ステーキだけで。
食べたこと無いから知らないけれど。
接待費も厳しい昨今、会社の経費で食べるチャンスも有りそうになく、さりとて香港を去る前には
一度食べとかないと日本では余計手が届かない料理になりそうなので、次のボーナスが出たら
思い切って食べに行きたい・・・・・ものだ、一人で。(嘘!許して、母ちゃん)


滞在中の食事では鹿鳴春の料理が結構お気に召した様。
因みに晴子も同店は初めてだった。ここは北京料理をメインとしたお店で
北京ダックが有名。セット・ランチにフカヒレフープや北京ダックが含まれて
Reasonableな値段のものが有った。これが良かったらしい。
確かに我々、北京ダック食べる機会多いけど、日本じゃ高くて一人2〜3枚しか
食べられないらしいから。どうぞ腹一杯お食べになってくだせぇ。

J's X'mas party in 日本人倶楽部
今年も日本人倶楽部で開催したJ's のクリスマスパーティ(略してクリパと言うらしい。)
イベント部長という名誉職を与えられている筆者が余り仕事をしないのを見兼ねたのか
はたまた仕事多忙な年長の先輩に任せっぱなしではいけない、と若い世代が志を立てたのか
若手部員の省吾(下の写真のサンタさん)が感じを引き受けてくれた。
しかぁし!会場手配のアレンジは黒幕が暗躍する。その名はナナ&晴子。
日本人倶楽部(略してジンクラというらしい)よりの回し者の面目躍如で、会場はジンクラ。
部屋代値切り、持込し放題、料理のランクアップ交渉、と働くのであった。

イベントはいきなりビンゴから始まった時にや、どうなるんだ?と心配したものの
各種ゲームと父も気がかりだった隠し芸も無事済み、大成功に終わったのであった。
茉莉も嶺も大喜びで良かった良かった。来年の参加は難しいかなぁ?


新年快楽!! と言ってもちょいと時期外れ?いやいや中国の暦では
22日が旧正月の元旦。という事で、今は年末。
最近、更新が遅くてどうなってんだ、と言う有り難い催促も受けつつあるので
今後、性根を入れ替えてもう少し更新頻度を上げ・・・・・たいなぁ、と。(ネタに
困っている訳では無いんですが・・・。)

で、新年の巻頭グラビアを飾るのは、余りにも登場回数が少なく軽んじられているのでは
ないか、と批判の声すら有る我が家の長男坊、嶺。
お陰さまで一歳を超え、男子の色気すら出てきた、とか晴子に益々似てきた、とか
いやいややはりお父さん似だよ、否、あそこは夫婦して顔が似ているからね、とどうでも良い
議論を振りまいている我が家の跡取り息子(?)

もう少しお外に出ないと、肌の色が白過ぎるぞ、と。
ちょいとカメラ目線でモデルの素質有り。(親馬鹿)


茉莉の通う保育園は本当に行事盛り沢山だ。
(都度、お金はしっかり徴収されますが。)
保育園の分際でクリスマス・パーティーなぞ、街のレストランを貸しきって開いてしまう。
で、保育園児が各々出し物をするから、日本で言えば差し詰め学芸会・発表会の様なもんだろう。

そういった趣のものとは知らず、晴子に引っ張られるまま父はレストランに向かった。
嗚呼、ここは父の取引先の会社が毎年忘年会に使っている海鮮料理屋ではないか。
良いところでやるんだなぁ。その広いレストランを貸しきって参加者のテーブルは凡そ100卓は有るだろうか?
(一卓10人として1,000人以上!)
これは相当のお金が動きますね。
3歳にも満たず、長い会話も出来ぬ茉莉に出番は無い、筈だったのだが(そもそも茉莉は3歳以下の
Pre-schoolなので、出し物の練習とかそういうプログラムは学校では無いんですな。)
両親が揃って参加して何も出番が無いのは可哀想、と思ったのか
担任の晴子曰く、「あんな綺麗な外国人女性見たこと無い」とお気に入りのオーストラリア人先生の
ジョセフィーヌかクリスチィーヌとか言う先生が「一寸Make upしましょう。」と、控え室に連れて行かれたのです。

劃して、綺麗な衣装を着、一寸お化粧もした茉莉はイエス様が生まれるときの場面を演じる劇に
チョイ役で出演したのであった。(台詞無し、特段の役割も無し。立てっているだけ。)
Anyway、これが茉莉の舞台生活の幕開けで有った。

さて、この日の観客は全てPTA,身内であったのだが、折角練習した劇とか出し物(踊りだとか、唄とか。)
外部の人にもお見せしたい、と、翌日セントラルの公園で再度同じ演目をやる、ついては
今日の衣装を持ち帰り明日、公園に集合!との号令がかかり、我が家はカメラ持参で向かうのであった。
今日もお化粧をしてもらい、連れて行かれるままに、台詞も与えられず、歌も判らずキョロキョロしているだけの
茉莉。まぁ、邪魔をしなかっただけ良しとする。



3歳にも満たぬ小娘の癖に化粧を施し、又その顔に見とれてているナルシスト茉莉。
行く末が思いやられる。



湾仔をバスで通っているとき、新しい北方料理屋を見つけた。
自称餃子好きの晴子、行きたい行きたい、とせがむので
後日てくてく歩いて向かった。北方料理はみすぼらしい料理が多いので
余り香港では受けない。だからお店も余り多くない。
香港中華レストランの80%が広東料理屋と言われるが、一つには
海老とか蒸し魚とか、御代を貰える料理が多いほうがビジネスとしては
旨みがある事も関係しているのだろう。

劃して訪れたお店、質素なつくりで当然値段は安い。
お決まりの水餃子、鍋貼等を頼む。10ケ10ドル、安いが味としては
何時も行っている同じく湾仔の北京水餃子の方が旨いか。

茉莉は熱い餃子をフウフウ吹きながら中身を開けて食べる。
ちょいと行儀が悪い。


香港日本商工会議所に入会している日系企業化学品部のパーティー、
毎年この頃行われるんだが、今年の会長は三菱レイヨン殿。とすると
代表幹事は自動的に我が社になるんですな。
因みに昨年の会長は三菱化学。やはり我が社が代表幹事でした。
師走の出張者も多いこの時期にクリスマスパーティーの準備に大わらわ。
でも我が家を初め、会員の家族は皆、楽しみにしているので仕方ないんですな。

今年の会場はConrad Hotel。盛りだくさんのGame, Band演奏にMagic show!
Lucky Drawで子供の賞品も一杯頂いて、子供達は大満足で帰ったのであった。
年末、あちこちで開催されるX’mas party。縁のあるPartyに家族で参加していると
結構出費も馬鹿にならない。ま、でもこういうのもこっちに居るとき位か。



冬の制服

師走という言葉が当てはまる忙しい毎日を過ごす石村家であります。
(いきなりHome pageの更新が途絶えていた言い訳から入るところが悲しい。)
SARSが香港に上陸する前に、という意図が有るのか、或いは新しい商売のネタが
多いという事か、兎に角出張者が多いんです。故に可愛い二人のお守りはもっぱら
晴子に任せっぱなし。こんな事ではいけないと判ってはいるものの、稼がないと
お父ちゃんは食っていけないんだよ、許しておくれ。(と、心の中で謝る父)

香港の流石に最近は冬の気配が、(と言っても日本の秋位でしょうが)
半袖で過ごすには涼しすぎる様になってきました。
朝晩も冷え込むため、最近香港では風が流行っています。我が家も嶺が長らく
鼻水止まりません。夜中もぐずぐず泣き通しの為、晴子は万年寝不足です。
出張続きの父の方が、ゆっくり睡眠取れている様な・・・。
来る(SARSが流行るといわれている)冬に備えて、我が家も全員インフルエンザの予防接種を
受けましたが、それでも(風邪を)引く人は引くんですね。
  *SARSの症状と風邪の初期症状が似ている為、予防接種を行うもの。
    SARS自体のワクチンは未だ開発されていません。

涼しくなって茉莉の通うFunful schoolも制服が衣替えになりました。
何としっかりした制服!(全てご近所さんのお下がり=お古ですが)
これ買い揃えたら相当高いだろうな・・・。(否、でもシンセンで作ったら100元位かな?)
父、幼少の頃に思いを馳せるが、制服なんて無かったなぁ。第一幼稚園じゃなくて保育所だったし・・。
と、言う事を話すと「貴方の田舎と一緒にしないで。私はちゃんと制服着て行ってたわよ。」と晴子。
はいはい、貴方の学歴には勝てませんよ。

茉莉、果たして帰国後はどういう道へ進むのか?(注:帰国の話がある訳では無い。父は香港の
Permanent visaの取得を目指している。)


未だ幼稚園前のNurseryのくせに色々と行事はあるのである。
11月22日は運動会であった。果たして2歳8ヶ月の茉莉をして
一体どういう競技をさせることが出来るのか?甚だ疑問ながら父は
週に一度の唯一の楽しみ、バスケットボールの練習を休んで、九龍塘にある
立派な400メートル・トラックに辿りついた。
懐かしいこの雰囲気。
10数年前、父さんはこのトラックを一日何十周も走ってたんだよ、茉莉ちゃん。
日頃狭い部屋の閉じ込められて思い切り走ることを許されていない嶺も、芝生の
グラウンドを嬉々として走り回っている。嗚呼、やはり子供には広い所で思い切り
走り回らせてやりたいものだ。父が子供の頃、田んぼで缶蹴りや草野球をやっていた程の
広さ迄は求めないが・・・。
余談では有るが、人の走る速さは3歳までに決まってしまうのです。この年までに
走るという命令が脳みそから足の神経まで伝える最短距離を作るとか、或いは
筋肉でも早く動く速筋(赤い筋繊維)の割合が早くなるとか、この年までに広いところで
思い切り走り回っていたほうが良いんだそうな。(最新の体育理論ではどうか知りませんが。
哲「注:大学時代の友人」、知ってたら教えてくれ。)
故に、茉莉はもう手遅れだ、多分。陸上選手になることは諦めたほうが良かろう。
往生して水泳選手を選ぶのだ。


そう言えば、子供の頃を思い返すに寝るスタイルを色々模索した様な記憶がある。
うつぶせに寝たり、右胸のところに枕を挟み、ちょいと斜めになる事により呼吸の
気道を確保したり、はたまた大きな縫い包みに抱きついて横になったりと。
睡眠を軽く考えてはいけない、脳の発達にも影響するのだ、等とTVではまことしやかに
宣伝がされており、そういえば最近熟睡していないからか、睡眠不足だからか
疲れが取れないな,等と睡眠について考えて見たりするのである。
我が家にはダブルベッドが一つあり、そこで晴子を初めとする3人が陣取り、
床に布団を敷いて父一人寝る、という形式が久しく為されてきたが
何時の日か、毎夜酒臭い匂いをぷんぷんさせて帰ってくる父が迷惑なのか、
はたまた夜中変わりバンコで泣き声を上げる子供達に睡眠を妨害させまい、という
妻の美しい愛なのか、今、父は一人ダブルベッドを占拠して寝ている。
因みに長身の父はそのままだと、一寸足がはみ出てしまうので、対角線上に斜めに
なって寝ている。非常に広々として快適である。
夜中、茉莉が泣き止まず、嶺も釣られて泣き出した時なぞ、気を使って父も第二寝室に
行き、「茉莉ちゃん、よしよし。」と添い寝をしてやるのだが、「ふんぎゃ〜!」と余計に
泣き声大きくなり、全然役に立たないという事を何度も知らされたので、開き直っている。
大変なのは晴子である。頑張れ。
姉弟、やはり寝やすい姿勢は一緒なのか、向きまで一緒に寝ている。
こういう姿を見るのが親の喜びなのだろう。多分。
因みに父が子供の頃はこんな寝方をしていなかったので、多分晴子の遺伝だろう。


11月8日 100 kmTrail終了

構想8ヶ月、準備半年を経て迎えた100キロ・トレール本番。
生憎本番では金曜の夕刻から雨が降り始め、夜通し海風に晒されながらも
我がチームは何とか100キロの道のりを歩き終えた。所要時間は29時間42分。
その道程の辛さを一口に語る事は出来ないが、足の裏の皮も捲れながら
ゴールが見えた時、光るゴールの中から「パパー!」という声と供に茉莉が駆け寄ってきた。
こんな臭い演出、一体誰がやりやがったんだ?と思いながらも父は目に涙を
浮かべつつ娘を抱き上げ・・・・・様としたら、父の傍らをすり抜け、チームメイトの
丹羽氏(写真左から2番目)に向かっていきやがった。
流石に近く迄行って別人だと気付いたらしいが、お父さん抱え挙げるポーズのまま
固まっちゃったっすよ・・・・。
しかしこのトレール、皆の支援無くして成し遂げることは出来なかった、と人の親切の
有り難さを痛感。茉莉と嶺にも何時か体験させてやりたいものだ。


嶺の誕生日

クリスチャン・ネーム:フランシスの1回目の誕生日を祝う為、晴子が行きたがっていた
イタリア料理屋「アマロニ」に行った。だがマカロニを食べに行ったのではない。
(因みに我々の結婚式披露宴入場の時に使用した音楽は山下達郎のアカペラ「アマポラ」だったが
 考えて見たら全然関係無い。頭がこんがらがって来た。)
1年は早かった。昨年、タクシーで病院に乗りつけ、入った部屋がそのままDelivery roomに変わった
あの日がもう1年前か。
よくぞ元気に育ってくれたもんだ。この1年間で茉莉は父と言葉で会話できる様になり、
嶺はとことこ走り回る様になった。父の小遣いは更に少なくなり、髪の毛が伸びた。
(何故かクリクリ巻き毛になってるが・・・。顔が赤いのは日焼けしたせい)


晴子、厚かましくも店員に「今日は彼の誕生日なの。」と、聞かれても居ないのにアピールする。
(お前もすっかり香港人になったな。)
店員、予想通り「あら、じゃあプレゼントとケーキをあげるわ。」と愛想が良い。
やはり欧米式のレストランはこういう接客サービスが良い。広東料理とは又違う。
ローソク付きのケーキが運ばれ、何故か茉莉がそれを吹き消す。
加えて、お店のキーホルダー付き風船を一つづつ。
更に、店員さん4名程がやってきて”Happy Birthday to you"を合唱してくれる。
お父さん、一寸照れくさいぞ。


嶺の顔は何やら母性本能をくすぐる感じの甘さを感じさせる。
例えるならばホイップクリープみたいなものか。
二人とも家の中では煩いのに、お外に出ると緊張しているのか言葉少なで大人しい。
親としては有りがたい。これも俺の躾のせいか、と言ってるとお約束の様に
「あんたは何もしてないじゃない。」と晴子が父ちゃんの頭をはたく。
嶺、心配そうな目でそれを見ている。
晴子よ、子供たちは見ているぞ、君が父を虐げているのを。気をつけろ。




ご無沙汰しております。皆さん、如何お過ごしでしょうか?
香港は相変わらず暑い日が続いています。
10月ということもあり、上海蟹が街に並び始めましたが
相変わらず昼間は30度近い日が続いています。

暫くホーム・ページの更新が途絶えている間に、筆者はバスケットの練習中、
太腿肉離れを起こし、もう若くないんだと又もや(これで何度目だろう?)思い知らされ、
そうこうしている内に100キロ・トレールの本番は着々と迫り、気が付けば早1ヶ月を切って
いるので有りました。
御存知ない方の為に若干説明させて頂くと、この100キロトレールは恵まれない人に
愛の手を、といった類のチャリティー行事で11月7日に西貢より屯門迄100キロを
4人一組で一緒に歩くというもの。
昨年の1位は14時間弱と言いますから、時速7キロ超で”走り”抜けた計算になりますが
普通の人は3キロ/時間位でしょう。つまり30時間以上掛けて歩くわけです。
一応時間枠が有り、48時間以内にゴールすれば、HK$6,000.-以上の寄付をする
権利が与えられる、というもの。(そんな権利要らんという人も多いのですが。)

肉離れ休養中、ある時はシンセンに、ある時はショッピングへと晴子に付き合わされ
身体もなまって来たこの頃、昨日他のメンバー3人より出遅れている分を取り戻すべく
昨日22キロ程、6時間掛けて歩きました。時速4キロに満たしませんが、
今朝起きたら土踏まずはカチカチ、治り掛けの太腿は痛むは膝は痛いは、で
果たしてこんなんで100キロ歩けるんかいな?と甚だ心配な現在の心情でした。
(本ページの趣旨には全然関係ないけど。11月7日の本番まで、J'sホームページの
 新コーナー「100キロトレールの道」で状況が順次アップされます。こっちのホームページ
 更新で、本ページがおざなりになっているという説も有り。ひっそりと応援下さい。)

さて、夏休みのバリ旅行を何時までも引っ張っている間に、茉莉ぽんは
プレスクール(幼稚園に入る前の段階)に通いだしていた。
具体的な価格は割愛するが、高い!
3歳以下なので、会社からは補助金も出ない。制服等揃えると更に高い。
子供なんか直ぐに大きくなるんだから、どうでも良いじゃないか、と思うのだが
一応International校で、そんな文句は言えないらしい。
幸い、晴子の知人がお古の制服一式を譲ってくれたので有り難く頂戴する。
もしあれらを全部購入してたら、と考えると恐ろしい。
結果父さん&晴子の毎月の小遣いは削減となったのだが、果たして日本では
どれ位掛かるのだろうか?

学校へは徒歩10分位なので、送迎バス代月額1万円を節約して誰かが
連れて行くことにした。父 or 晴子 or お手伝いさん。
最初の3日間こそ、学校に送り届けた後泣き喚いていた様だが、いまやすっかり
楽しんでいる様子。果たして先生の言う英語でちゃんと意味が判っているんだろうか?
参観日でも無いかなぁ?

髪の毛をパッチン留めで留めて、真っ黒に日焼けしたおでこを見せた茉莉。
この制服が結構お気に入りで、気が付いたら鏡の前に立って自分の姿に
見とれてたりする。(それを陰から見てる父に気づき、恥ずかしそうに大声を出し
怒る茉莉。ナルシストである。)


水曜日は体操服で通学。この体操服も買わねばならぬ。
運動靴は白でなければならぬ、という指導が有ったのだが
そんなに何でもかんでも買えるかい!っと、父が中国出張時に
(唯でさえ安い中国での靴を)バーゲンで購入したもので事足らせる。
人間、余り見た目にばかり気を取られていては「仏作って魂入れず」だ、と
晴子を納得させ、勝手に校則を破るのであった。



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  お父さんが参加している香港日本人バスケットボール倶楽部のホームページ。
                良かったら覗いてください。